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無粋で無知:Jelly Roll Morton

at 2003 05/04 02:35

◆一ケ月半前の話で恐縮ですが、俳人鈴木真砂女さんが亡くなられた。

◆鈴木さんといえば「銀座の路地裏に小料理屋を開きながら日々の営みや波乱の人生を天真らんまんに詠み続けた俳人」であり「その人生は、丹羽文雄氏の小説『天衣無縫』や瀬戸内寂聴氏の『いよよ華やぐ』のモデルになった」方である(カッコ内朝日新聞抜粋)。

◆以前某K書店で勤めていた頃、ぼくは全体の出版物を管理する仕事にいたことがあり、当然俳句や短歌の「自費出版」本も扱っていた。短歌や俳句などは一部流通へ流れることはあるが、基本的に客注のみであり、たとえば500部作れば450部は著者の買い上げであった。それは結社(俳句短歌のグループ)の中で弟子や仲間が買うものなのだろう。

◆ある日、鈴木さんの米寿(だったかな?)記念に読売文学賞を取った句集「都鳥」を限定百部で函(はこ)入り新装丁で出すことを聞いた。たぶん贈呈用であろう。俳句の本とはどれも自費出版ならではの贅を尽くした装丁・デザインがされるものであり、ものによっては悪趣味とまで言えるものもあったが、出版人としては商業では採算の取れないデザインなので、一度は手がけてみたい垂涎の技術が施されていた。記念もので限定、どんな装丁がなされるのか、とても気になっていた。

◆さて、出てきたものは割と普通のデザインだった。函にも新しかったり特にお金のかかったりした様子はなく、本文も普通の墨一色で文字が打ってあるだけ、表紙のクロス布は粋な文様が施されているがその程度。ちょっとがっくりしたぼくは、見本を持ってきた製本所の営業さんにどこがどうなのか聞いてみた。そうしたら。。。

「この本はね、苦労したんですよ。なんたって100冊全部表紙の布がちがうんだから。先生がもっていらっしゃるお着物の端布を使ったんですよ。100枚送ってこられてね。だから100冊全て表紙が違うんですわ。一部の失敗も許されない、だって材料が100冊分しかないんだから。」

◆100の本に100の思い出のある布で包んで100人の方に贈呈する。こういうのを本当の贅沢だとぼくは思う。その後立場と気力と粘りをもって、端布の端布を集めてもう一冊ぼくだけの都鳥を作ってもらったのは言うまでもない。ただ、それには函がついていないのですがね。ぼくもこんな金の使い方が出来る粋人になりたいものです。

◆そういえば著書「銀座に生きる」「お稲荷さんの路地」などに感化されて、何度銀座の卯波(鈴木さんの経営した小料理屋)に足を運んだであろう。しかし、一度もその敷居をまたぐことは出来なかった。無粋で無知な若者には、その小さな扉がとても大きなものに見えたからだ。

◆ニューオリンズ生まれのクレオールJelly Roll Mortonはジャズピアノの創始者でありコード記号の発明者、歴史上初めての白人黒人混成での録音をした人でもある。彼の1929-1930年のNYでの録音を聞いていると、まだ粋だとか心の余裕だとかそういうものが存在した時代に触れられるような気がする。こういう音を聴いていると自分も多少は無粋で無知な若者から成長したのではないかという気がする。

◆モートンのラグタイム・ピアノとRed Hot Peppersの演奏(特に優しげなクラリネット)に身をゆだねながら夜のひと時を過ごせるような心の豊かさを持っていれば、人生に足跡になるようなものを残せるのではなかろうか? そしてその積み重ねが存在としての「粋」に近づいていけるのではないか? そんな気がする。しかし、聴きながらHPの更新文章を書いているような余裕のない生き方をしていてはまだまだ無粋で無知な(元)若者でしかないのかもしれない。卯波の敷居はまだまだ高すぎる。

◆ジャケットはクラッシックスレコードから発売の1929-1930モートンがちょっとメインストリームから外れだした時代の音だ。



或る作家との思ひ出:笛吹銅次?

at 2003 05/28 01:07

◆センセーそろそろいい加減にしてくださいよー、書くって言ったじゃないですか

◆散々待たせた挙句に、ドラマ用の短編一本ですか? 本になる量じゃないからって脚本篇を併載したって結局同じ内容じゃないですかぁ。いつでしたっけアンソロジーを80年代中に出して、99年に単行本、そして2001年には宇宙を題材に巨編を書くって雑誌のインタビューで約束していたじゃないですかぁ。 

◆そりゃ私は先生の作品を愛していますよ。初期のアメリカ南部文学の探求の「華厳連作集」も、80年代のベストセラーモノも大好きですよ。他の人に提供した原案ものだって大体は読んでいます。そんなファンがいっぱいいることは先生もご存知ですよね。オークションでは先生の初期作品の初版がウン万円で取引されていますし、ほんのちょっと加筆訂正した文庫本だって、ペイできるくらいは売れています。でもね。。。だからいいじゃないかじゃないですよ。。。確実に先生のことを知らない世代も育ってきてるんですよ。

◆確かに大ヒットした「愛の世代」の原案を書いたのは先生ですけど、みんな「愛の世代」は知っていても先生の名前は知らないんですよ。それにあれ自体むかしの先生の作品をつなぎ合わせて、シチュエーションや名前を変えただけじゃないですか。みんな知ってますよ。今度の「映画でアムール」だってみんな気づいてますよ。売れれば文句ないって?そういうことじゃないですよ。短編一本作るのにどれだけ時間かかっているんですか、文庫の加筆するのにどれだけ手間かけているんですか? そんなことしている間に忘れ去られちゃいますよ。

◆お子さんももう大きいじゃないですか、先生が第一線で活躍しているのをお子さんはみたことないでしょう。かの孤高の文士「暖簾治音先生だって息子さんの「パパは兜同人だったの?」という一言でペンを執ったというじゃないですか! ボクの言葉じゃ駄目ですか? 「華厳歳時記」の後、華厳連作集をいったん終わりになされたけど、同じテーマを全く違う形にして「長き休息」を書かれた時みたいに復帰してくださいよ。そして「それぞれの時」と同じようなスパンで良いですから書き続けましょうよ〜

◆文学界の仲間やファンの人たちは「出版しただけで今世紀の名作」とか「新作が読めてやっと天に召される決心が付いた」とか言いますけど、それは昔の先生に対するノスタルジーですよ。20年間先生の文体は変っていないじゃないですか、完成した文体だから変化ないわけじゃないでしょ? 装丁だって昔のイメージのままですよね。なにが「自作模倣」ですか、他に新しい物語も文体も思いつかないから開き直って昔のものをいじくってるだけなんでしょ、

◆わかってますよ、みんな分かってますよ、でも先生の新作を待っているんですよ。先生が今の壁をどうやって越えるのか息を潜めて見守っているんですから、みんなの気持ちに応えましょうよ。書かなきゃ消えちゃうんですよ。いっぱい書いて書いて書きまくって、伝説ではなく現代の人気作家の肩書きをもう一度手にして下さい。

◆あーぁ言っちゃいましたね、これでボクはクビですよね、だって一介の平社員担当が取締役にこんな口きいちゃったんですもん。これから辞表出してきます。そんな覚悟で言ったんですから、書斎に篭るだけなのはやめて、新作に取り掛かってください。失業保険つかってでも買いますから。。。



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