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無様な生:New Order

at 2002 11/07 23:00

◆無様だ、明らかに無様だ。

New Orderのライブビデオを見た。New Order316というタイトルで81年のライブと98年のライブのカップリングだった。とても素晴らしくクソのようなビデオだった。

◆まず81年、イアンカーティスの死からNew Orderを結成して間がないこともあり、全員ぎこちない。指一本のキーボード、ほとんどリズムマシーンに頼りっきりのドラム、イキガルばかりのベース、そしてオドオドと視線も音程も定まらないバーニーのボーカル。すべてがぶざま過ぎて涙が出てきそうだった。初めて手にしたナイフを無闇やたらに振り回し、結局自分を傷つけてしまった少年のような印象だった。

◆そして98年、アイビーリーグOBの休日のようなバーニー、まるまるぷよぷよとした彼の体からは幸福や安定、責任という言葉しか想像できない。そんなとっちゃん坊やが手足を、まるで自分がミックジャガーかスプリングスティーンででもあるかのように振り回し、挫折や死や心の傷を、メロディどおり歌う。世の不幸をすべて背負った場末の女然としていたジリアンは、まるまると太って(妊娠か?)気難しいおばさんのようであり、ピーターのベースとスティーヴンのドラムは年季を積んだエンターテインナーそのもの。

◆どこにも死という不幸を基点として発生した存在価値のないバンドの面影はない。むしろテキサスかどこかのセミプロバンドのように快活であり、前向きであり、ビジネス的である。それはそれで、人の生き方として、エンターテインアーとして正しいのかもしれないが、ブルーマンディを歌うバンドとしてはあまりにも無残だ。「ダーリン」を息を切らしながら歌う中年太りの沢田研二と同じくらい惨めだった。その無様さに思わず胸がいっぱいになった。

◆思えば、ニューオーダーはいつも無様だった。アーサーベイカーの手を借りて白人のダンスビートを確立したという足跡はたしかに歴史に残るものであるが、彼らのクリエイティヴィティ自体は、いつも後ろ向き、イアンがいないので仕方なくこのバンドをやっているという感じだった。その暗さ、不安定さ、悲しさを隠く気力すらない無様さ彼らの魅力であり、同様に無様な自分を呪っている僕たちの感情を逆撫でするものだった。

◆だから出世したことで却って無様さを露呈してしまった彼らを見ていると、無様な若者があくせく小銭をためてマイホームをバックに笑顔でスナップをとってしまう無様な中年になることの哀しみを感じてしまう。だから彼らは哀しいし、その音を聞くと、それはダンサブルでスタイリッシュなのだが、妙に胸が詰まってしまう。彼らの無様さは80年代という飽食の時代に育った僕らすべての無様さなのかもしれない。




ニューオリンズ特集について:Grey Boy Allstars

at 2002 11/12 23:24

◆ニューオリンズ特集を始めた。このHPをはじめた所以自体がGalacticというミシシッピのバンドを知らしめたかったのが理由だから、僕がNOの特集をやってもなんらおかしくはない。

◆僕にとってNOのセカンドラインはいつの間にか染み付いていた。バラカンが悪いのか達郎が悪いのか普通に僕の周りにセカンドラインビートというのがあった。しかし、昔からのNOファンにとって、僕のセカンドラインセレクションというのはかなり偏って思えるだろう。アーマトーマスもいなければリードーシーも出てこない。しかしヒューイスミスは居たりする。また、ケイジャンもザディーコもない。「お前はニューオリンズのなんたるかが全然わかっとらん!」とお叱りを受けても仕方のないラインナップだろう。

◆個人HPなのだからいいじゃん。。。という甘えではない。個人HPだからこそ個人「五條淳彦」が聴いて好きなもの以外は載せてはいけないのだろうと思うからだ。仕事なら好きでもない音のいい部分をわざわざ探したりもする。仕事なら聴いたことのないジャンルを開拓しようとも思う。しかし個人HPなのだから「わざわざ」何かを探求するのではなく、普段自分の慣れ親しんでいる、自分の血や肉になったもののみご紹介したいと思う。背伸びをしても見透かされるだろうし、着飾っても、着飾れるほどの資金が個人にあるはずがない。自分らしいセレクションで勝負をかけることが一番大切だ。

◆しかしセカンドラインの音というと日本中にかなり多くのファンがいるにもかかわらずなぜかメジャーになれない音の一つであろう。大瀧・細野らのはっぴいえんど関連や久保田麻琴をはじめ音楽業界の最先端の人たちの多くがセカンドラインフリークである。

◆しかーし、我思うニューオリンズFUNKってなんだ?セカンドラインビートってどういうもんだ。そんなジャンル日本にしかないんじゃない? 英米のHPのどこを見てもNewOrleansFunkなんて言葉はない。ミーターズはR&Bだし、Dr.JohnはRockの棚にある。WildMagnoliasですらR&Bだ。そのくせケイジャンやザデイーコというジャンルはロックやR&Bと同列で存在する(日本のレコ屋のジャンルにはニューオリンズという棚はあるがケイジャン棚はみたことがない)。

◆余談ではあるがJamバンドやアコースティクスイングというくくりも日本的なものだ。パブロックという言葉が生きているのも日本だけだろう。。。あれれ?僕の好きな音楽ジャンルはほとんど日本固有のジャンルなのかもしれない。。。。

◆まぁ、そんなあいまいな状況なので「ニューオリンズもの」という括りは、時々変な状況を生むことがある。たとえばGrey Boy Allstarsなんかもその一つだ。

◆Lenny Kravitzのバックで名をはせ、いまや超売れっ子サックスプレーヤーとなったKarl Densonを中心としたサンディエゴ出身のこのバンド、本人たちがWest Coast Boogalooを標榜しているからか、あるいはDensonやキーボーディストのRobert WalterがStanton Moore@Galacticとのコラボを積極的にしているからか、NOのくくりで語られることが多い。

◆しかし音を一聴すればわかるのだが、すこしもセカンドラインビートでもブラスバンドでもない。ファンキーでヘヴィなFusionというべきかあるいはGroovey Acid Jazzとでも言うべきか、重いビートではあるものの、ミーターズ伝来のまとわりつくような音ではない。はるかにスムースであり爽やかだ。Live後半のようなえんえんと続く掛け合いは古参のジャムバンドらしさを感じることはあるが、決してNOねっとり感ではない。 熱いプレイの中にもカリフォルニアの乾いた風を感じさせる。

◆とてもすばらしいバンドではあるが、NOを聴きたくてこのアルバムをレジに持っていったとしたら、その人にとってもバンドにとっても悲劇であろう。だからジャンルを括るなら、その括りをきちんとしなければならないのかもしれない。ジャンルは目的を違わずに手に入れる道しるべなのだから。

◆そんなこといっても、Densonのグルーヴを耳にすれば満足できちゃうんだけどね。オフィシャルはここ



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