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雨の選挙:Maria Muldaur
at 2005 9/11
◆ 今日は選挙だった。今日の話題は政治の話のようなそうでないようの話である。
◆私は以前武蔵野市に10年近く住んでいた。菅直人の地盤だ。10年住んでいても衆議院の選挙には一度も行ったことがなかった。つまらないからだ。どうせ菅さんが勝つに決まっている。圧勝だ。

◆これが自民党の議員だったら、打倒自民とか言って、野党に一票入れに行く気になったかもしれない。しかし野党の地盤で、その人の圧勝が目に見えている選挙に一票入れる気にはとてもならなかった。モチベーションが上がらない。

◆しかし、このたびの選挙は武蔵野市の外交を担ってきた菅さんと内政を任されてきた土屋市長の一騎打ち。とても面白そうだったのに何故今武蔵野市民じゃないのか、ちょい悔しい。不貞寝選挙だった(ちゃんといきましたよー、でも誰がどうなのかちっともわかりませんでしたけど)。

◆また、わがふるさと名古屋もつまらないところで、民主王国とも呼ばれるところなのだ。民主というより旧民社党の地盤で春日一幸や塚本三郎の地盤だった(公明党の石田三郎の地盤でもあったな。海部俊樹元首相も)。ここも反自民が圧勝という動機に欠ける地域でもあった。

◆まあ今回の小泉首相の強引なやり方を見ていると中学の政治経済の先生が言っていた言葉を思い出す。日本の首相というのはアメリカの大統領・イギリスの首相・フランス大統領に比べるととても権力が強いはずなのに何故コレだけあいまいな力しか発揮できないのだろう。米仏の大統領は行政権しかもっておらず、党のトップでもない。裁判官任免の権利もない。日本の首相は第一党の長である上に行政を統括しており、裁判官の任免権も持っている。つまり三権の長である。これだけの権力を一点に集中させている国は他にはない。

◆小泉氏は日本の首相が法律上所持しているすべての権力を無造作に使うことの出来る初めての総理大臣なのだろう。彼を走らせるのも止まらせるのも国民の意思次第なんだよな。ちなみに五條は保革伯仲、政権交代というセレクションが可能な国家が理想です。今のままじゃ無理だろうけど。

◆さて、こんな雨の中、選挙管理の方々はご苦労様です。こんな時は優しい音楽でも聴いて心だけでもなごませてください。Maria MuldaurSwingin' in The Rain。98年に発表されたこのアルバムはOn the Sunnysideに続くマリアのグッドオールドキッズミュージックシリーズです。90年代以降のマリアはブルーズ、ジャズ、オールドミュージックと色々なジャンル別にアルバムを発表しております。そのひとつなのですがタイトルでわかるようにSingin' In The Rainなどのスインギンなミュージカルサウンドを13曲詰め込んでいます。

◆何の新しさやひねりもなく、ただ単にこういう音楽を楽しみたいのだ、というマリアの姿勢が良くわかり、聞いている方も安心して聞けます。疲れているときはこういう安心できる音楽がいいですね。安心できるのにちょっとウキウキ、水溜りの上を歩くのが思わず楽しくなっちゃいます。マリアのちょっとしゃがれたグランママっぽい歌声がとってもキュートでうれしくなっちゃいます。

◆さて、選挙はどうなったかな。。。。そろそろテレビでも見てみましょうか。


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ひさしぶり:Funky Funky New Orleans
at 2005 9/10
◆ひさしぶりの更新だ。仕事が忙しかった、では理由にならないくらいの怠慢だなぁ。もう見限られているかしら? 

◆ なにぶん文章を書くというのは不思議なことだ。身体の中に文章を書ける気力というのがあるらしい。その気力はLimitedで、使い尽くすと次が補充できるまではかけなくなるもののようだ。

◆ 仕事で文章を書いたり、創造したりそういうことが多くなるとHP更新は出来なくなる。逆に単純作業や営業的な交際系が多くなるとHPがはかどる。そんなものらしい。

◆僕のHPの更新一時を追いかけていけば、おのずと僕の仕事具合がわかるというものだ。頻度が集中しているときは単純作業に専念しているとき、ガバっとあいている時は考えることが多いときだな。

◆それにしてもニューオリンズ、、、なかなか道のりは遠そうです。僕には何もいえません、一日も早くみんなが前向きになることが出来ればいいな、と思います。

◆こんな時にこんなジャケのアルバムはどうかと思いますが、やっぱこの迫力、この猥雑さ、この暑苦しさがニューオリンズだと思います。Funky Delicaciesの1969-1973年のほとんど無名なアーティストたちのコンピ第4集。どこまで行ってもドロドロファンクしか聞こえてこないこのアルバムは、存在自体がニューオリンズ。

◆BrotherhoodとLarry Jonesが3曲づつ、Chuck Conway & The Amars、The Fantoms、The Brothers Twoが2曲づつと、Lonnie Jones、Warren Lee、Jerry Byrne 、Trick Bagという構成、どのアーティストもシングルだけで消えていったのでしょう。しかし銀盤に封入されたその精力はいまでもぶっ飛んでいます。

Funky Funky New Orleans Volume 4、早くこんな活力がこの街に戻ってきますように。そして僕にもこの力を憑依させて欲しい。


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子供の能力:Art Garfunkel
at 2005 5/8
◆GWにかなり娘との時間をすごした。そこで疑問におもったことがある。今回の場合はわが娘だが、小さな子供と接していると、変な感慨に浸る瞬間がある。

◆心が通じているわけでもない、ただ大人側の勘違いなのであろうが、淡い一体感、というか、ふんわりした恍惚というか、妙に淡い光に包まれたようなそれでいて甘酸っぱい心地いい感覚に襲われる。これはいったいなんだ? 小さな子供が発するオーラのようなものであろうか? 生命力にあてられる感触なのであろうか。 とにかく子供の本能が大人に気に入られようとする自衛のために作り出すものなのであろう。

◆時々、マンガなどで子供の世話を押し付けられた大人が、嫌々ながら苦労して子供と接する。しっちゃかめっちゃかになりながらもようやく親が戻り、自分が解放されると妙に寂しくなり、その子を想うというのがある。あれも忙しいながら子供の生命力にあてらた影響なのだろう。

Art Garfunkelがわが息子Jamesのために作ったアルバムSongs From A Paret To A Child。このようなタイプの音は大体が「どうだい、うちの子可愛いだろー」的な嫌らしさが見え隠れするのだが、さすがアーティはエンターティンメントのプロに徹していて、聞くもの誰にでも楽しめるアルバムを作ってくれている。

◆一曲目のWho's Gonna Shoe Your Pretty Little Feetの素朴なトラディショナルな雰囲気にやられてしまうこのアルバム。優しく力強いアートの歌声はすでに「天使の歌声」とは程遠いが、そんな自分の力量に相応しい歌をセレクトしていて、老いを全然感じさせない。若い頃のような張り上げる壮大なバラードが少ない分、軟らかいメロディやアレンジが目立ち、とても聴きやすい内容になっている。

◆選曲もCAT STEVENSの「MORNING HAS BROKEN」やLOVIN' SPOONFULの「DAYDREAM」、ダンボで有名な「BABY MINE」、BEATLESの「I WILL」など。それらの名曲を新緑のような温かく爽やかな音の涼風に仕上げている。たった一曲だけGood Luck Charmで8歳くらいなのか?のJamesくんがメインボーカルを取っているが、これがまた上手い。やはり血筋なのか、それとも父親による相当なボイトレがあったのか、普通に子供番組でかかりそうな曲になっている。

◆まだまだ手ばかりかかり、「折角の休日を! ちくしょー」とばかり思わせるわが娘ではあるが、それでもやはりいとおしく感じさせられてしまう。神が子供に与えた能力のなんと素晴らしいことか。


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名古屋から:3 Tora Hot Club
at 2005 4/25
◆名古屋から撤収したとたんに名古屋のオチャラカバンドのアルバムが手に入った。名古屋は大須のOYSという小さなライブハウスが作ったレーベルからデビューした3 Tora Hot Clubだ。

◆Janet Klein名古屋ライブの前座をやっていた彼ら(てことは俺見たのかな?)はギター、トロンボーン、ドラム、バンジョー&カズー、ウッドベースの5人組。デビューアルバム3 Tora Hot Fiveはジャイヴやブルーズやジャンプの雰囲気とメロディを日本語にアレンジしている。

◆ えーっと、なんというかHoosier Hot Shotsみたいな感じかな。バンバンバザールのデビューって程には斬新ではない。でもなんか和む。亡くなった高田渡さんが若かったらこんな感じかもって気もする。別にあってもなくてもどうでもいいけど、有ったらちょっぴり幸せが増えるかも。ぼーっと聞いていると馴染んだメロディがそこかしこに。コピーライツってどうなっているんだろう?って不安になるのであまり有名にならない方がいいかも。そんなことどうだっていいか、まあ和んでおけや。

◆公式HPはジオシティ。万博や空港やラシックやアスナルやイタリア村やサンシャインやトヨタ本社などで大盛況な名古屋、まあそう騒がずにこういう音でマッタリしてくれや。

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アップしわすれていた原稿、、、時期はずれだけど:Annna Karina
at 2005 4/24
◆「末は学者か大臣か」、いにしえの大人が子供を誉める時に使った言葉である。つまり学者や大臣は市井の人々の手の届かない「夢」であったのだろう。巨大な権力や智謀、財力や尊敬の念、それらを兼ね備えたのが学者や大臣であり、到底われわれ庶民には手の届かないものだったのだ。

◆また、ブラウン管の中の人たちも含めそういう手の届かない人々をスター(星)と呼び、心の底で羨んだりしたものであろう。 しかし21世紀になり、手鏡で女子高生のスカートの中を覗く学者や、酔っ払って街中で猥褻行為に及ぼうとする大臣候補、新宿マイシティでスカートの中を撮影するスターなど、まるで市井の我々と変わらぬ欲望を我々が考えるのと変わらぬ違法で叶えようとしてお縄になる「スター」たちが出てきてしまった。

◆つまらん、ショボすぎるのである。やはりスターだったら性欲など簡単に満たすことの出来る裏口を持っていて欲しい。たとえば花街、たとえば違法なシンジケート、たとえば囲いモノ、、、闇から闇へ、私たちには到底思いもしないような方法、あるいは思っていても絶対叶えられないような方法にて処理して欲しい。街中で痴漢して騒がれる程度の人々に僕らは国や学問や娯楽を任せたくないのだ。

◆昔、郷ひろみ(だったかな)がホテルの部屋でくつろいでいると呼び鈴が鳴り、ドアを開けると裸のファンが立っていた。昔、沢田研二は美人の双子とベッドをともにしていた。すっごくうらやましいが私たちにはマネができない。それでこそ憧れの階級なのだ。だから星なのであろう。 学者も大臣も芸能人も魅惑の星ではなくなってしまった時代、僕らは何に夢を抱き憧れていけばいいのだろうか?

◆ゴダールの映画はあまりきらびやかな夢とは関係ない内容が多いが、そこで微笑むAnna Karinaの存在は市井の民であるボクから見れば完全に夢物語である。「小さな兵隊」、「女は女である」、「はなればなれに」、「気狂いピエロ」、「アルファヴィル」「アンナ」、「メイド・イン・U.S.A.」。夫婦関係が終わってもゴダールとアンナは映画を撮り続けていった。そんな彼女の映画での挿入歌を中心に集めたChansons De Filmsは銀幕の夢の歌声だけを封印した禁断の鍵だ。

◆「女は女である」や「アンナ」などの60年代のものから、73年の「同棲生活」、80年代に入ってかの「タンジール/復讐の熱い夏」、そして2000年の新録(というかデビューアルバム(笑)からの収録というか、、、プロデュースのKaterine君とのデュエット)など時代は多岐にわたっている。しかし若々しい歌声も、ジャンヌモローばりのだみ声を聞かせる近年もどちらもその妖艶さは変わらない。妖しく美しい歌声である。この歌声と時をともにするのはまさに夢の出来事なのかもしれない。

◆最後に、別に女子高生のスカート以上のことが出来るというのがボクの夢なのではない。市井の民とは全く違ったアンタッチャブルな領域に夢を持ちたいということである。誤解がないように。ちなみにAnna Karinaの公式HPはなんとジオシティである。


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上京:Arrested Development
at 2005 4/16
◆上京したのは他でもない、自分を元に戻したかったからだ。

◆たしかにRでの仕事は楽しかった。いい仲間も多く、かなり勉強になった、いい仕事も出来た。しかしやはり自分について回ったのは、あの事件だった。なぜ社員じゃないのか? なぜこんな切り詰めた生活なのか? なぜ、なぜ、なぜというわだかまりが心の澱として残ってしまいそうだった。誰かを責めたいのではなく、自分の3年前の決断に対する挫折感だ。

◆本当はこうじゃないんだ、否定したい自分がいてそれが原因だろう。変に横暴だったり、過去にとらわれてみたり、そんな自分が嫌だった。だからリセット、というか、東京にいた時と似たような仕事に戻ることでアレをなかったことにしたかった。実家に帰ることで結婚し子供もでき、家族との関係も変わり、、、当然リセット出来るわけじゃないけど、少しでも元の状態に近くなりたかった。

◆幸運なことに自分を東京に呼び戻し、仕事を与えてくれる会社があった。幸運なことに前職での定昇ベースで3年経った位のギャラを払ってくれるという。がんばらなきゃいけない。幸運を日常に出来るかどうかは自分次第だ。

Arrested Developmentの4年ぶりニューアルバムAmong The Treeはなかなかハッピーなアルバムだ。今回はメンバーを一新して(というかSpeechいわく呼んだのに誰も集まってこなかったそうだが)、Speech主導感が非常によく出ていている。Speech好きなのでいいのだが、彼のソロベストも一緒に出ていたのでどっちを買おうかかなり悩んだ。

◆アレステッドを表現するとオーガニックでルーツミュージックっぽいヒップホップバンドというわけのわからないことになるのだが、簡単にいえば30代40代でも親しみやすい音だということだ。適度に70年代ソウルっぽくってジャズやフォークのルーツっぽさを取り入れていてアンプラグ度数が高い。メロディアスなラップが清流のように心地いい。身体によさそうだ、あぁだからオーガニックなのか。

◆UKソウルの潤いを感じさせるA Lotta Things To Doや切な系HipHop(なんじゃそりゃ)のLuxury (pt.I)もいいがもっともステキなのは初夜の秘め事を唄ったHoneymoon DayのPOPな爽快感がとてもいい。この曲CMソングにしたら売れるだろうな。ハンドクラップとリズムギターをバックに親しみやすいメロディが重なると、歌詞を無視できる純ジャパとしてはセックスソングというより、朝のテーマソングになりそうだ。

◆このステキなBGMとともに新しい会社に出社している自分、今のところなかなかいいんじゃないかい? このままのテンションが続けられればいいな。しかしそれにしても入社一週目で徹夜かよ。容赦ないぜ(笑)。

◆Arrested DeveropmentとSpeechのHPは→LIFE MUSIK。ちなみにこのアルバムはUS/UKでは発売されていないそうな。


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ここまでくればどこまでも:大瀧詠一
at 2005 3/19
このアルバムが最初にリリースされたのは1975年、エレックレコードからでした。原盤はザ・ナイアガラ・エンタープライズが所持しており、翌76年ナイアガラ・レーベルの日本コロンビア・カッティング盤がリリース。81年ソニー移籍でソニー・カッティング盤と、同じ”アナログ盤”ですが、カッティング工場が違うため、それぞれの会社の特徴のある音になっています。

<中>86年の『ナイアガラ・ムーン』初CD化、そして95年のボーナストラック入りの20周年記念盤もソニースタジオでマスタリングを行ないました。<中略>今回の『ナイアガラ・ムーン30周年記念盤』は、録音された”福生スタジオ”にてマスタリングを行ないました。エンジニアは”笛吹銅次”!<中略>30年かかって戻ってきた、というような<中略>《場所》は大事ですね。大瀧氏自身のライナーノーツより

◆そんなこだわりの師匠、100周年記念盤も発売日に即買しますよ!


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訃報:Jimmy Smith
at 2005 2/12
◆しばらく仕事が忙しかったせいでJimmy Smithが亡くなったことを今日知った。享年79歳。ハモンド・オルガンの先駆的プレイヤーとして50年代、60年代のジャズ界をリードし、90年代にもアシッドジャズの範疇で再評価された彼の人生は人の一生としてはかなり満足なものだったのではなかろうか?

◆ BlueNoteの社長に「会社を売ってジミーのマネージャーになりたい」とまで言わしめた彼のプレイ、ボクもかなり魅了された。こういう音がカッコイイと感じるかどうかはかなり音楽の聴き方によるのだが、いいと思うことができれば音を楽しむという領域が大きく広がることは間違いない。

◆ 92年にブルーノート東京で彼のライヴを見たときはなんだかヨレヨレでせっかくのジミーへの熱が冷めてしまったが、「.com Blues」で久々に切れのイイ音を聞かせてくれた。これがほぼ最新作状態で、遺作「Legacy」が今月発売になるらしい。どんな音なのかかなり興味があります。

◆ 今日はボクが最初に手にした彼のアルバムMidnight Specialを聴いて冥福を祈るとします。高校の時に手にしたLP、何度も何度も繰り返して聴いた覚えがあります。

◆ ティ〜チャラララと始まるオープニングにドキドキし、その後のゆったりムーディなブルーズに大人を感じたものです。彼の音はトリオやカルテットなどの音数の少ないモノの方が好き。このアルバムもスタンリータレンタインのテナーがとても気持ちいいし、ジミーのオルガンとケニーバーレルのギターがすごく息が合っていていいです。全部のアルバムを聴いているわけではないのでどれがイイとは言い切れませんが、ボクとしては名盤の誉れ高いCatよりもこっちの方が断然好きです。1960年の録音。




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一人の晩飯はなまずをどうぞ:Jon Sholle
at 2005 2/8
◆気づくとメールばかりしてる自分がいた。個人的な話ではない、仕事のことだ。

◆ 今、ほとんどの案件はメールで来る。僕の業務はいろいろな業務フローを整理して技 術的な知識とクリエイティヴを求められる立場の人間を結びつける役割である。知識 を求められてメールで返す、説明を求められてメールで返す、原価を求められてメー ルで返す。ほとんどの場合文章が必要なのでメールで返答をする。会議等あった場合 でも結局メールで確認しあう。同じビル内でも同じフロアでもそうだ。気づくと一日 が膨大な量のメールを打っているだけで過ぎていき、それで解決したり、それでス タートする。

◆ 隣同士でも「今メール打ったから確認して共有よろしく」てな具合だ。仕事ってそん なもんなのかな? 走り回ったり丁々発止やりあったりすることがなくなった。長い 会議で一日を終わらせるよりは同報メールでやりあって決定に持ち込めたほうが時間 的な融通も利くし便利ではある。相手の言葉を自分のリズムで検証できるだけ、力で 押し切られることもなくなった。でもなんとなく仕事した気分にならないねえ。

◆ 人のぬくもりがほしいなんて甘っちょろいことを言うわけではないが、もう少しざわ ざわと活気のある状態のほうが仕事をした気になるんだよね。打ち合わせの後に 「じゃあ一杯いきますか!」ってね。

◆ 無機質なブルーに品格のあるブラウンのギター、その上を泳ぐナマズのジャケは裏通 りに君臨するキャベツと同じくらいシュールレアリスムに富んでいる。さぞや堅 くるしいアルバムかと思えばJon Sholleのギターはフィドルの軽やかなメロディとと もにとてもリラックスした音色を聞かせてくれる。

◆ 彼の78年のアルバムCatfish for Supperはそのジャケに似合わずとても気楽で人懐っ こいウェスタンスイングだ。肩の力が抜けるという表現は使い古されすぎだが、ここ まで演奏者自体が緩んでる必要もあるまいに。ゆったりのんびり楽しそうだ。このア ルバムは本当に売ろうとして作ったのかさえ疑問だ。ジャケと音とのミスマッチを含め、すべてが彼なりのジョークなのかもしれない。

◆ しかしこの緩やかさ、温かさ、音と音の隙間に漂う人間くささが今の自分のオフタイムにはちょうどいい感触だ。Dan Hicksやそういう音好きな御仁ならもう聞きすぎているアルバムだろうが、まだの方はぜひ聴いてみてほしい。何か埋められないものがある部分に効果的な音楽です。



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墓あばき市場:Les DeMerle
at 2005 1/30
◆音箱登龍門という番組が好きだ。東海地方ではやっていないのだが、月曜夜に東京にいることが多く、結構見ている。日本の若手アーティストを紹介する番組なのだが、音楽ジャンルを「Cutie」「Funky」「Cool」という3つに分けて紹介し雑談をする番組。最初は「お?深夜に中野美奈子が出てる!」程度の興味でチャンネルを止めたのだが、出演アーティストがなかなかにいい音を出している。

◆中でも気になったのがBonobosというシティ派メロウバンドとミスゴブリンというピチカートファイブの昭和歌謡版のようなやつら、そしてジャズっぽいジムノペティというユニットだ。2回に1回は気になるやつらができるので楽しみにしている。

◆しかしなんだか日本の現代の音で入手しようとまで思うのはなかなかいない。キリンジですらほとんどレンタルで済ませているのである。名古屋でレンタルできるアーティストなんて高が知れていて、このままじゃ全国的大ヒットを飛ばしたやつらのみを後追いで知る状態になってしまうと危機感を募らせている。全国的大ヒットを飛ばすようなやつらに30台半ばのマニアが興味を引かれることはなかなかない。つまりまったくわからなくなってしまう。ヤバイ。。。。

◆こうやって時代から取り残され、趣味オヤジとして一生を過ごすのかなぁと、カラオケでプレスリーを歌うオヤジたちを見てそう思う。たぶん10年後には小沢健二やオリラブを唄って若者に苦笑されるのだろう。

◆時代を追いかけてもいないのに、是非買いたいレコードが減らないのはなぜだろう。あぁそうか、リイシューだ。ここ数年リイシューという新譜が多くなった。なぜこんなにも再発売されるのだろうか? するネタをどこから拾ってくるのだろうと感心してしまう。ツェッペリンのライブだとかジョンレノンの未発表録音などならありえるが、ほとんどが再発見に近い無名アーティストのリイシューだ。

◆怒涛のような墓あばき業界の中で、この年末に一際目立ったのがこのLes DeMerleの3枚のリイシュー。ジャズやジャズファンクの範疇で語られるドラマーらしいが、TransFusionという曲を中心にデ・ラ・ソウルやHIPHOPな方々にかなりサンプリングされているとのこと。

◆彼の78年のライヴアルバムLive At The Concerts By The Seaを聴いてみた。基本はフュージョンである。それも割とさらりとしたフュージョンだ。しかしドラマーのリーダーアルバムらしく、ダレる部分がない、緊張感というかキチっキチっとしたリズムで統制されていることで、あまり特徴がある曲でなくとも飽きることがない、なかなか良い。

◆と思ったらいきなり4曲目で迫力のあるスキャットとともにかなりファンキーなホーンが入ってくる。ここで雰囲気はガラリと変わる。めちゃめちゃカッコイイ。あぁこれだ、DJたちが惚れたのはここなんだなと納得。とにかく切迫したプレイが凝縮されてくる。70年代っぽい黒さが充満する。これ以降怒涛のFUNKYドラムの炸裂、畳み込むドラミングに突き刺してくるホーンやスキャット、楽器たち。まさにジャムセッションさながらだ。

◆このアルバムは2枚組で、発売当時はLive At The Concerts By The SeaとTranscendental Watusi!という別々のアルバムとして発表されている。合わせると80分をほんの少し越えてしまうので残念だが、ぜひ続けて聴きたいアルバム、盤を交換するタイムラグがとても惜しい。

◆しかし、様々な墓を暴いている洋楽市場はいったいどこまで行ってしまうのだろうか? そしてこれらを聴いていると青少年時代に音楽雑誌で読んで知っていた「時代を超えた名盤」というジャンルがいかに情報の少なさゆえのセレクトだったのかが分かる。たしかロック雑誌では70年代って不毛の時代と言われていたよなぁ(笑)。

◆現在はビッグバンドのリーダーとして音楽活動をしているデマールのHPはThe Dynamic Les Demerle Orchestras。このライブを聴いてからサイトを覗くとかなり唖然とします。


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根強い差別:Art Garfunkel
at 2005 1/23
◆韓流ブームの裏側にはやはりまだ朝鮮民族に対する差別というのも残っている。現在の年金世代の一部には、いまだに朝鮮人の触ったものには触りたくないとかいう方が、恥ずかしい事だが、存在する。

◆そういう他民族排除というのは思想というより、どの民族も本能的にあるものなので、一朝一日で改善されるものではない。しかし、そもそも何故朝鮮民族への差別だけがこうも根強いのだろうか?

◆元来、日朝関係というのは概ね良好だった。任那傀儡政権や秀吉の朝鮮出兵など、日本の領土拡張には朝鮮半島が目標とされてきたことは否めないが、日本にとって朝鮮半島というのは経済・文化における大国「中国」とのパイプ役を果たしてきた。 日朝貿易が途絶えたことはない。いつも日本は朝鮮半島を通じて海外の文化を取り入れてきた。つまり日本にとって朝鮮は兄弟子のようなものである。しかし、たしかに朝鮮民族はある意味弱い民族だ。いつも中国の属国のような扱いを受けてきた歴史を持つ。しかし反面とても強い民族なのかもしれない。それは、一度も中国の領土になっていないからだ。

◆そして、大日本帝国の領土拡張のなかでも、蝦夷地・樺太の統一、琉球王国の併合、台湾の割譲、満州王国の独立などという流れの中で半島の併合が行われた。しかし、北海道と沖縄はあたかも同一民族であるというような扱いであるし、台湾や旧満州とは(靖国問題はあっても)概ね良好である。つまり琉球、アイヌ、高雄、中華、満州の民族に対してはこれほどの差別感情は残っていない。では何故に朝鮮民族に対してだけ憎悪や軽蔑に似た感情が残っているのだろうか? それらは軍部によるアジテートや教育だけによる産物だけではないような気がする。つねづね私はそこが知りたいと思っている。

◆アウシュビッツを見るまでもなく、流浪の民ユダヤも差別をされてきた民族だ。彼らは歴史的に差別をされている。ローマによるイスラエル併合からだ。しかしそこには理由がある。ユダヤは他の神を決して認めない選民志向であり、コミュニティに何ものも介在させない閉鎖的性向にあり、また何よりも彼らが経済的にも商業的にも文化的にも優れた民族であるからであろう。排除せねば自分自身の不利益になるという切迫感だ。

◆ユダヤ人アーティストといってすぐに思い出すのはSimon & Garfunkelだ。ポール自身が折に触れてイェルサレムや旧約聖書をベースにした歌詞を書いている。Bob Dylanもそういう面がなくはない。やはり人生の色々な面でユダヤであることにぶつかるような経験があるのだろう。しかし逆にArt Garfunkelは全くそんなそぶりがない。自身がソングライターではないということもあるのだろうが、クリスマスアルバムすら録音している。

◆昨日、久し振りに彼のセカンドアルバムBreakawayを聴いた。その美しい歌声と力強いサウンドのコントラストに久し振りの感動を覚えた。75年に発表された放題「愛への旅立ち」はフォークシンガーからコンテンポラリーミュージシャンに変貌を遂げる宣言のようなアルバムだった。プロデューサーにRichard Perry、ゲストミュージシャンにGraham Nash、David Crosby、Bruce Johnston(Beach Boys)、Bill Payne(Little Feat)らを迎え、選曲もStevie WonderのI Believe、Gallagher & LyleのBreakway、Beach BoysのDisney Girl、Antonio Carlos JobimのWaters Of Marchなど多彩で、時代の雰囲気を的確に読んでいる。またキーボードのLarry Knectelの音色が新たなフュージョン的サウンドへの強力な牽引を果たしているといえる。

◆私はアーティのDisney Girlが好きだ。Beach Boysのそれよりも数段いいと思う。ゆったりとしたセンチメンタリズムを演出することで回転木馬のようなセピア調のメランコリーを聞かせてくれる。曲の内容にもぴったりだ。またThe FlamingosのオリジナルI Only Have Eyes For Youのメロウなくせに力強い意思を感じさせずにはいられないボーカルも好きだ。ここにもラリーネクテルのキーが全体のムード作りに成功している。またフリオ・イグレシアスやJohnny Mathisがカバーすることになる99 Miles From L.Aの繊細だが淡々としたAメロの唄い口にとてつもない魅力を感じる。やはりこのアルバムは繊細やメロウ、美しさを前面に出していながらもアーティの風に立つ獅子のように強靭な意志を表現しているアルバムなのだろう。

◆自らの出自や生き方などを歌にして語るポールもいいが、人としてはアーティの方が強いと思う。民族だろうが少年時代の経験だろうが、よいっと飛び越えてプロに徹してしまえる。彼の歌声を聴いていると他者との差を意識しなくては生きていけない社会がなんとくだらなく小さなものなのかと感じてしまう。イイものはイイじゃないか。

◆アーティの公式HPはartgarfunkel.com。日本語のオススメファンサイトはアーティズニュースをどうぞ。


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待ちわびて:Ernie Graham
at 2005 1/7
◆ボクが9歳の頃だった。担任の先生がホームルームの時間に地震の話をしてくれた。それはもうすぐ名古屋に地震が来るということだった。

◆関東大震災と伊勢湾台風の写真を見せながら先生はとっても大きな地震で、ボクたちの家も学校も壊れてしまうかもしれないという話や避難場所、地震が来たときの火事に注意して欲しいなんて話をしていた。

◆東海大地震、、、とても怖い思いをした。しかしその「もうすぐ」は幸運にもボクが名古屋にいるうちには来なかった。

◆24歳の時、神戸を大地震が襲った。次は名古屋だと誰もが思った。しかし、北海道、東北、山陰、四国と大地震が続き多くの人々が震災の魔の手に襲われた。

◆さて、ボクは今また名古屋に住んでいる。もうすぐ東海大地震が来るらしい。南海大地震と東南海大地震の恐れもあるという。名古屋を離れているうちに地震は仲間を作りやがった。しかし次に地震に襲われたのは名古屋ではなく新潟、そして南アジアだった。

◆東海大震災、来て欲しくはない。絶対嫌だ。しかし今の真綿で首を絞められるような、周囲を固められるようなペンディングも嫌だ。「次はお前だ」「お前なんだぞ」「いっちばんスゴイのが行くぞ」なんて囁かれているようなそんな状況も耐えられない。震度3くらいでお茶を濁して終了してくれないかい?

◆ブリンズリー・シュワルツのマネージャーで後のStiffレーベルの設立者だったことからパブロック界の元締のような存在だったDave Robison。彼が最も長く期待したのはこのErnie Grahamだったのだろう。すでに人気者となっていたVan Morrisonを除いてはアーニーはディヴが最初に見つけたい才能だった。バンドで、ソロで、別のバンドに加入させて、そしてStiffでの再デビューと何度も何度もディヴは執着するようにアーニーを売り出した。しかし結果は。。。

◆彼の唯一のソロアルバムはDave配下のブリンズリーとHelp Yourselfがバッキングをして非常にいいサウンドとなっている。ちょっと翳りのある湿った音、腐葉土を踏みしめる時のような湿度のある荒涼感をを演出するこのアルバムは間違いなく英SSWの名盤の一枚として数えられるだろう。

◆リイシューに伴いStiffからの再デビューシングルAB面をボーナストラックにつけているが、こっちはイケない。中途半端な大瀧詠一がロイ・オービンソンを唄っているようだ。あまりにダメすぎるので必聴(笑)。

◆きっと来る、きっとアーニーの時代が来るとDaveは信じていたのだろうがアーニー自身は2001年に帰らぬ人となった。来て欲しいものと来て欲しくないものがある、しかしその気持ちと結果は決して比例でも反比例でもないのがつらいところだ。



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純愛とは?:Maria Muldaurほか
at 2005 1/3
◆昨年は韓国カルチャーがブームでした。韓流なんて言葉も生まれたりして、まぁ近い国ですし近い民族ですので歴史でうだうだいがみあっているよりよっぽど有意義ではあります。

◆さて、そのブームの火付け役というのが昔の男と瓜二つの男に心を惑わされる女を主人公とした、人って外見だよねーということを再認識させるテレビドラマ。そこで強調されるテーマが「純愛」なのだ。

◆韓国の外見命女が純愛を貫くってことで、どうもよく「純愛」って言葉の意味が分からなかったのでNHKの年末の再々々放送の最終話だけを見た女房に聞いたところ、眼が見えなくなったペさんに対して外見女がキスをするだけらしい。ん?エッチをしないのが「純愛」なのか? プラトニックラブのことか? 

◆プラトニックラブといえば史上最初のゲイであるプラトンが同性とのエッチの仕方が分からずにむずむずしたまま見るだけで過ごしたという愛情の表現方法である。しかしそれがテーマだとしたら、日本にはセックスレスカップルやら、萌え系のアキバーやら、働きすぎで元気のない結婚3年以上過ぎた夫婦など、ブームの最先端だらけでわざわざ他国に求めるものでもない。そしてこれは少なくとも「産めよ増やせよ」という神の教えに反することだ。少子化で国力の衰えが緩まない日本人にとっては由々しき思想である。焚書どころではない、国営放送がそんなことをしてよいわけはない。

◆ということで辞書を引いた。大辞林では「邪心のない、ひたむきな愛」だという。邪心とはなんだ? 資金力か、名声か、もしかして肉欲か?? (現状では少なくとも外見は邪心ではない。男はやはり見た目のようだ)。

◆純愛といえば10年くらい前に流行った小説を思い出した。田舎の中年女が、通りすがりのイイ男と割り切ったお付き合いをして旦那との生活の憂さを晴らす物語があった。マジソン郡の橋だっけ? 愛知県北設楽郡にも以前似たようなことがあって旦那が奥さんを殴り殺しそうになった。

◆小説の奥さんは上手く旦那に気づかれないことに成功し、旦那が死んでからもう一度通りすがりの男に連絡を取ることになる(残念ながら男も死んでいるのだが)。旦那を騙しての割り切ったお付き合いってのは純愛なんですかね? ボクにはどんどんわからなくなってきた。

◆なんかとっても欺瞞だらけの言葉に思えて来てしまったのでこの話題はやめておきましょう。とりあえず日本民族の出生率が少しでも上がるように祈っております。

◆さて、2004年のBESTに挙げてもよかったほどのCDを紹介しよう。アコギ一本でブルースを唄うRory Blockとタジ・マハルフォロワーとしてボーダーレスにルーツミュージックを掘り下げるEric BibbMaria Muldaurの呼びかけで作った共作アルバムSisters & Brothers

◆Roryの祈りのようなアカペラからゾクゾクモノだが、特に素晴らしいのはマリアのジャンプスイングが興奮モノのGet Up Get Ready、ロリーが唄い、マリアがダブルボーカルで支えるLean on Me(Club Nouveauのヒットがなつかしい)、美しいアコギをバックにエリックとマリアが小粋に唄うGood Stuff(Keb'Moっぽい?)、エリックがディランの曲をソウルフルに歌い上げるGotta Serve Somebodyなどなど。

◆このアルバムを聴いていて分かるのは、方法論やスタイルが違ってもイイ音を作ろうとすると結局同じところに行き着くんだなぁってことかな。自分を通すとか中心になろうとかそういうのじゃなくて、やっぱいい音楽に触れたいって気持ちが一緒ならいい音を生み出せるんだね。ラストのタイトルソングのコーラスの楽しそうなこと、これだけのキャリアの人たちが屈託なく緩やかにコーラスを楽しんでる。これこそ音楽への「純愛」だよね。ちょっと強引だったかな? 

◆それじゃ最後はマリアと一緒に「ハレルーヤ、サンキュー! サンキュー!!」


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