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征服と共存:Van Morrison

at 2002 05/02 14:25

◆しばらく前に「風の谷のナウシカ」をテレビで見た。元来宮崎アニメというのは日本古来の妖怪と西洋のフェーリックなもの、そしてサンリオに代表される日本的な「かわいらしさ」が微妙にブレンドされていて、多くの人にはそれがファンタスティックに映るのだろうが、僕にとってはその微妙さが中途半端に感じてしまい、あまり好まなかった。

◆この物語は人間による自然の破壊と共存というテーマだったわけだが、人間の横暴によって死していく森の描写がとても日本的で面白かった。いわばこれは文明の発展(自然の淘汰)によってたどり着いた未来社会の姿である。遠い未来、人間達の生活は(武器を別にして)そのものの「火」や「水」自体に頼り、生活も部族単位の集団生活となっている。完全な自然回帰の世界だ。

◆思うに日本人の考える未来世界というのは自然回帰が多い。歴史の年号が一周してしまったくらいの未来を描いた「ターンAガンダム」では人種民族は混合されているものの中世〜近代の封建社会に近い時代がテーマだった。「新世紀エヴァンゲリオン」ではファーストインパクトで東京がなくなった日本は第二東京に首都を移すが、そこでの生活は、夏にはヒグラシが鳴き、子供たちが虫取りに駆け回る、望郷の感を呼び起こすような「日本」だった。「銀河鉄道999」では、荒廃した旧都市の中で哲郎たちは長屋に住んでいたりもした。どの作品も人間の進化が作品発表当時以降退化していくように描かれている。

◆しかしハリウッドのSFでは文明は確実に進化していく。「スタートレック」「フィフスエレメント」の未来都市はすばらしい。「ブレードランナー」の猥雑でスラム化した都市でさえ、荒廃はしているが自然に戻っていくわけではなく「スラム化」していく方向に荒廃している。「AI」では都市としての進化はあまり感じられないがサイバーワールドが確実に進化している。

◆自然回帰した世界を描いているものもあるが、それはスターウォーズ同様、地球外の惑星だったりするわけで、あくまで原風景的な世界は視点(=話者・観客)からの他者であり続ける。唯一「猿の惑星」では人類の文明の崩壊後を描いているが、主人公は崩壊したことを知った時、絶望によって泣き崩れる。そこには「信頼していた文明」の消失感が悲しみの中心である。

◆日本や東洋における理想郷「桃源郷」が、蝶々が飛び交い、小川を清水が流れる自然の風景であるのに対し、キリスト教社会における「ユートピア」思想は「神」あるいは善良で有能なな為政者の下に「管理」され「統制」されたことで「幸福」と「安全」を保障される一種の未来都市である。これは東洋が自然との共存によってゆったりとした進化を成し遂げてきた歴史を持つのに対し、西洋が山を崩し道を平らにするという「自然」に対する支配・搾取によって人間文明を進化させてきたのと根は同じであろう。

◆あくまで西洋文明は文明を信じ、自然を支配することで成り立つのである。庭の芝は刈ることで自然を人に優しく調教する。日本庭園は大いなる自然のミニチュアを如何に庭に取り入れるかに腐心する。それらすべてを含め我々と西洋文明の根本的なものの見方の違いというのは興味深いものだ。

◆そんな西洋社会の中でもキリスト教の影響の比較的少ないアイルランドの音には自然との共存が色濃く感じられる。孤高の詩人というかほぼ「仙人」なVan Morriosnが敬意と愛情を込めてアイリッシュトラディショナルグループThe Chieftansと組んだアルバムIrish Heartbeatからは自然や生活の厳しさを感じさせるとともに、それらに対するとても深い愛情が染み出てくる。何があっても人は自然を超えられない。超えられないからこそうまく折り合いをつけていく。その中で出会う喜びや悲しみこそが人の生き方なのだろう。そういうことをこのアルバムは教えてくれる。

◆VanのHPは見つけられなかったが興味深いHPが数点。非公式マガジンを発行しておりUK版ファンページのwavelength、様々なソースからVanの情報を集めているカナダ版ファンページVan Morrison Website。そして日本のAvalonSunset

半端者は遠吠える:小沢健二

at 2002 05/13 14:19

◆以前にも話したかもしれないが、30代は無鉄砲でいられるほど若くなく威厳を持てるほど大人にもなりきれない微妙な年代だ。やり直せるほど謙虚にはなれないし諦められるほど責任に追われているわけでもない。新人の顔をして人の輪に入り込めるほど自尊心が弱いわけでもなく孤独を楽しめるほど自分に酔えるわけでもない。

◆オザケンの新譜Eclectic(取捨選択)を聴いた。大人になりきれない大人の淋しさを聴いた。深い水の底から天の光を見つめているようなそんな音だった。たんたんとした静かなリズムで冷徹を装う、とうとうと説得するような口ぶりで成熟を装う、なまめかしく輝く台詞で粋人を装う。しかしどんなに理論武装して強がってもやはり孤独は隠し切れない。

◆何故きみは異国での生活を望んだのか? まさにエトランゼ、きみはきみが暮らす場所で他者との心からの交流が出来ているのだろうか? 

◆数少ないきみの(新曲のための)ポートレイトからは弱々しくはにかむ少年の鬱屈した孤独感しか読み取れない。まだ少年のつもりなのか? 少年でありたいのか? 

◆異郷から東京の人々の生活を窃視するような真似は辞めにしてほしい。きみはまだ東京で必要とされているのだから。小洒落ていて自信満々だった渋谷っ子は、異郷で井の中の蛙だったことを知ってしまったのだろうか? 

◆どんなに傷ついていても、どんなに困窮していても、故郷の母には「元気だ、楽しくやっている」と書いてしまう集団就職の慣れの果てのようだ。

◆抑制されたビート、叙情的にメロディアスな旋律、まるで新美徳英かあるいは木下牧子のようなコーラス、そして溢れるくせに内容の少ない言葉。万に一つも新しいものが見当たらない、すべてが既に語り尽くされたような佳作の羅列だ。

◆しかしそこには真実がある。すべて嘘で塗り固めなければならないほど傷つき困惑して、しかしそれを隠そうと無駄な努力を(無駄だとわかっていても)しなくてはいけない苦悩がある。少年のように挫折したことをおおぴっらに表現できない困惑は大人と少年の中間で苦悩する半端者の遠吠えかもしれない。10年前には夢中に唄っていたブギーバック、いまは憧憬と感傷で満ち溢れている。

◆そんな、成長過程の中途半端な感情を一枚に閉じ込めたこのアルバムはまさに名盤といっても差し支えないだろう。その苦悩を感じない世代には、大人なキリンジか甘いドナルドフェイゲンでしかなく、感じてしまった世代にはトーチソングの傑作になる。

◆しかし、そんな苦悩を商売にしてしまうあたり、30代は信じてはいけないのかもしれない
Don't Trust Anyone Over Thirty!

◆オフィシャルは⇒

ウィリーネルソン:Ry Cooder

at 2002 05/16 17:43

◆カントリーってお好きですか? 

◆ぼくは苦手でした。。。ぼくの世代でカントリーっていうとやはり「ウイリーネルソン」、MTVでテンガロンハットにつなぎのジーンズで楽しそうに歌っていた白髭オヤジである。「自然ってなんてすばらしいいいいいんでしょおおおお」と立松和平ばりの胡散臭そうな朗らかさで唄うオヤジに欺瞞とウソっぽさとアメリカ版民謡のカッコわるさを感じていたのは僕だけじゃあるまい。

◆しかし、どうもカントリーって云うのはウイリーネルソンだけじゃないと気付かせたのがRy CooderPurple Valleyだった。

◆20歳くらいの頃かな、あるWASP青年と話していたとき、
「どんな音楽好きなの?」「Rockだよ」
「ロックってヴァンヘイレンとか?」「ライクーダーなんか好きだなぁ(^^;」
「日本の音楽は分からないなぁ。。。」「いやアメリカ人だって(−−;)」
「知らないなぁ、どんな音楽?」「聴いてみる?」とCDをかける
「・・・・・・・・・・・・・・・・」「・・・・・・・・・・・・・・・?」
「あぁカントリーね、おじいちゃんが聴いてたなぁ」

カ、カントリー?これがカントリー? ロッキンオンで特集されてるアーティストがカントリー???
それ以来、ぼくは白人にまでオヤジ趣味だと云うことにされてしまった(汗)。

◆そんなこんなでカントリーってなによ?と聴き始めてみた。。。結構カッコイイかも(爆)。。。。おれってカントリー好きなのかも、特にアコースティックなやつ。。。ディズニーランドでよくかかっているなぁ。。。。 そんなことを考えている20歳の夏だった。

◆一般にカントリーと括られる音楽は、いわゆる白人のルーツミュージックの進化系であって、数十年前には若者も聞いていたわけで、一緒くたに「老人音楽」だというわけじゃないんだよね。Rockと同じくブルーズを基本にしているわけで、Rockがどんどん過激で刺激的な商品として磨耗されていく間に、かたくなに「普遍」という感覚を追いつづけている、いわば職人音楽なんだよね。

◆追求型の音てのは、商業的には、リスナーから遠くに行ってしまいがちなので、その部分ではなく「流行を追いかけるということをしていない」という部分にスポットを当てることで、懐古趣味的なイメージで見せようとする。その部分がいわゆる「ウイリーネルソン」的なものなのかもしれない。

◆その追求部分がライクーダーのようなルーツ探求としてルーツロックとなり、懐古趣味的なところがウイリーネルソンとなっている。非常に近い部分なのに、音への取り組み方という姿勢ひとつでこんなに違ってくるものなのかなぁ

◆みなさん、カントリーってどんなイメージですか?

玉石混交:Todd Rundgren

at 2002 05/19 05:24

◆ジオシティをはじめ、世の中は無料の個人HP花盛りである。まさに玉石混交素晴らしいものもあれば、ゴミのようなものも多い。

◆他人のことのように言っているが僕のこのHPもあまたのゴミの1つである。謙遜かと思われるかもしれないが、ひとりの一般人が自分の日々の感じたことや考えを述べているだけのHP、それは個人の趣味の範疇以上でも以下でもなく、文化や社会性の観点からいえばゴミ以上ではありえない。

◆個人HPの怖いところはリリースまでに第3者の視点が全く入らないところだ。要するにどんな下手な文章であれ、取材が行き届いていないものであれ、事実誤認であれ、悪意がこめられているものであれ、発信者がよしとすれば人目に触れてしまう。大変危険な代物だ。

◆マスコミというものは文章や映像を商売にしているだけあって、あまたの第3者チェックが働いている。たとえば僕がいた編集部では、作家・ライター・編集者のどれが書いたものであれ、担当編集とデスククラスのチェック後、全編集部員が目を通す(全員校了)。現在扱っている文庫も編集担当・上長・進行担当・校閲者(最低2名)の計6名が目を通す。それでも誤植や事実誤認、文法的に間違った部分が出版後に明らかになることがある。

◆そういうわけだから、発信者ひとりが良しとしてリリースした文章など、間違いや暴走、独りよがりがゼロなわけはない。それほどに文章を書くということは難しいことなのだ。

◆自分が思ったとおりの伝わり方をしているか、自分の表現方法は間違っていないか、言っていることは誰かを不快にしないだろうか、何度も何度も気を使っても、やはり本人では気づかない部分というのはある。そして、そこをシェイプして万人に発信できるものにするのが新聞社であり出版社でありレコード会社の存在意義であろう。それだから受け手から金を取るのだ。

◆宅録の神様(笑)Todd Rundgrenの最高の奇作である魔法使いは真実のスターA WizardA True Starなぞは、そういう観点からいえばゴミである。セルフプロデュース、セルフミキシング、作詞作曲とすべての楽器をひとりでこなす。アルバムの企画段階から完成まで第3者の視点が全く入っていない。

◆このレコードを買った時、あまりの音の悪さに絶句した。片面25分近く入っていた。そしてそんな今にも割れそうな音質のビニールから聴こえてきたのは大胆な実験の数々。甘いメロディもワクワクする様なビートも細切れにされ、全く没頭することを許さない。誰のために作ったアルバムなのだろう。

◆もちろん批評筋からは大絶賛だ。アーティストが何ものにもとらわれず、自分の意識の流れるままに音楽を作る、プログレッシヴポップとでも呼べる新しい音楽ジャンルを確立したのだから。しかしこれがToddという看板があるから絶賛されるのであって、アマチュアがやっていたら単なるマスターベーションでしかない。ゴミだ。俺が担当者だったら絶対、発売を許さない(笑)。

◆しかしこのアルバムにはさまざまな可能性がある。色々な新しい音のサンプルだ。ここからヒントを得て、自分の音を作っていった後身も多いだろう。そういう意味でこのアルバムは素晴らしい。時代に残す必要があるアルバムだ。

◆商業主義が僕の創造性を邪魔する、と愚痴をいうアーティストは多い。しかし担当者ひとりすら説得できない作品はやはりゴミでしかない。反論するなら受けて立つぞ!

恋文音楽:Poor Sound Recor

at 2002 05/23 16:03

◆ミュージシャンには二つのタイプがあると思う。表現者である事を大切にしている人と、音楽愛好家だ。誰もがどちらでもあるはずだが、そのバランスは人それぞれだ。

◆表現者側に傾いている人は、たとえサンプリングやカバーであっても、それらの楽曲を自分の表現したい事の「素材」として見なす。だからそこに現れるのはその表現者の「理想なる姿」の完成形(あるいはそれに近いもの)であろう。しかし愛好家に傾いている人は、素材を決して素材という言葉でかたづけられない。各々の楽曲に対する「想い」が強いからだ。だからどうしても完成した音楽にはならない。しかし、音楽を大事にする気持ちは曲の旋律の合間から滲み出て聴くものの心を温めてくれる。

◆「全てのメロディは使い尽くされている」との宣言通り、世の中には同じようなメロディ、アレンジが横行している。それらが「パクり」と呼ばれるものか「オマージュ」なのかは、原曲に対する「想い」の差がでるのであろう。だれも「ナイアガラムーン」をパクリだとはいわない。アメリカの音楽を演奏する事で日本に紹介したのであって、「作曲大瀧詠一」であってもそこに悪意を感じるのならばそれは音楽への愛情が足りない人だ。

◆音楽は進化を求められる。しかし進化だけを求めていたら現在のほとんどの音楽がアヴァンギャルドになってしまっているはずだ。全く進化しない、むしろ過去に向いている音楽もある。一部の演歌やクラシックのように現状維持だけを存在意義としている音楽もある。聴くものにとって大切なのは「新しさ」ではなく「今の気持ちに合っているか」とか「誠実であるか」「心に響くか」というメンタルな部分であろう。新奇や奇抜だけを求めたものは商品として消費されるだけである。

◆宅録デュオPoor Sound Recordのセカンドアルバムmatatabi Jamは一曲一曲が恋文のようだ。各々の曲にサンプリングとして様々な楽曲を使用しているのだが、どの曲もサンプル素材曲に対しての愛情や敬意に溢れた使い方をしている。

◆その曲に対する愛情を示すためにその曲をサンプリングするという使い方は良くあることだが、これほどまでに気を使って、いや気持ちを込めて使ってしまったらもはやサンプル(素材)ではなくオブジェ(対象)だ。オブジェに愛情を込めた歌というのは恋歌であり、これらは音楽に対するラブレターである。その愛情や敬意は歌詞や旋律、歌からも滲み出ている。的確な表現が見つからないが「滲み出ている」でのある。

◆彼らの音楽は決して豪華だったりショッキングだったりノリノリだったりするわけではない。しかし音楽が好きな人だったら自然とニヤケてしまう音たちに溢れている。レノンや大瀧や細野やDr.Johnやトッドやコステロやその他多くの音楽愛好音楽家が、自らの若き日に影響を受けた音楽に対する深い敬意や愛情と同じ気持ちを、彼らは持っていると確信させられる。

◆ミュージシャンには二つのタイプがあると思う。表現者である事を大切にしている人と、音楽愛好家だ。誰もがどちらでもあるはずだが、大切なのはその表現したい気持ちや愛情が誠実なものであるかどうかである。誠実な感情に裏打ちされた音楽は聴くものに安心と温もりを与えてくれる。

◆公式HPは→PoorSoundRecord


妄言・暴言?

at 2002 05/24 16:31

◆車道を疾走する車椅子を見た。

◆青年はまるで原付のように自動車の合間を擦り抜け、そのスピードのまま90度直角にターンし、舗道と車道の段差をジャンプして総合病院に入っていた。

◆危険だとか迷惑だとかいう論議は別として、ただかっこよかった。思えばハンディキャップトである。五体満足な僕らより肉体的に劣っているはずの彼の姿がうらやましくも見えた。自分には到底かなわないものを努力で勝ち取った人を見た。

◆以前、茶髪でかわいい化粧をした女子高生を見た。ピンクの小さなピアスがとても似合う彼女、何人かの同級生らしき娘たちとハンバーガーをパクついていたが、ちょっと違うのは白い杖をついていたことだ。

◆なかなかハンディな人々に対する蔑視と言うのはなくならない。そして「かわいそうだから手を貸してあげなきゃ」という見くだした見方を正しいと思って活動にたづさわる人も絶えない。それは彼らをイジケさせるし甘えさせる、精神に問題でもないかぎり、彼らも僕らも精神の成長速度は変わらないのだから、他人がぼくらと違う態度で彼らに接していたら彼らは僕らと同じような精神成長が出来なくなってしまう。それはますます僕らの社会から異物として取り残されかねないのだ。

◆しかし、上記の車椅子の青年や女子高生のような人に出会うと感心してしまう。女子高生はハンディをハンディとして感じない/感じさせない、数学が苦手なのも短足なのも盲目なのもひとつの劣性特徴でしかないというような態度だ。

◆そして自分の特徴を極め、他人より秀でてしまった車椅子の青年。二人とも並大抵の努力ではないだろう、しかし不屈の魂をそこに感じざるを得ない。こういう人々が市井に息づく世の中というものはとても健全な世の中だと思う。

◆世の中は残念ながら平等ではない。人々が出自、能力、容姿で分けられてしまうのはどうしようもない事だろう。しかし、それが蔑視をこめた差別であってはならないはずだ。彼らのようにコンプレックスを努力で克服しようとする人々を受け入れられる下地が世の中に必要だろう。コンプレックスがコンプレックスでなくなるためには、本人の努力と周りの下地作りが大切である。それでも努力をしないやつはそれはそれで本人の選択だ。自分の事を可哀想ぶる悦楽に浸っていたい人はそれはそれで良い。



◆これくらいにしよう。他人の痛みは分かった気にはなれるが、本当に理解/実感する事は出来ないし、この話題に音楽紹介を沿わせる事は傲慢な気がする。10日間寝かせて考えたが、やはりこのまま終わらせよう。

今月のオトシャベリへ、●アーティストリスト


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