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2002も音楽狂いで:小坂忠

at 2002 01/14 00:42

◆新年初です。あけましておめでとうございます。

◆なんて言ってももう14日、年明けすぐに熱をだし、つい先日まで生死の境をほうろうしていました。

◆しかし、病院での待ち時間を利用して出かけたのは某ユニオン、そうそう風邪の熱は下がったけど、音楽熱は下がりそうにありません。やはり目がつぶれても、耳が聞こえなくなっても、僕はレコードを買い続けるのでしょうか?

◆ってことで、小坂 忠のほうろう、ブルースですねぇ、かっこいいですねぇ。70年代のダンディズム、探偵物語の世界ですねぇ。これ、細野さんのプロデュースでしたっけ? 林氏と細野氏のリズムセクションがとてもしっかりしていて、鈴木茂のギターの切れもとてもいいです。ティンパンのシティブルースってかんじでしょうか?

◆本年最初に聞いたアルバム、車の中で一人で聞きました。今年はどんな年になるでしょうか? 月火水は雨の中人ごみ、週刊誌と満員電車、たちんぼ。木金土は映画館で立ち飲みコカコーラなんてことにはなりたくないですな。

◆今年もよろしくお願いいたします。この文章の意味がわからなければ「ほうろう」を聴いてください。

◆小粋に別れようベイビー♪

不幸好きな男:MarilynMonroe

at 2002 01/18 13:06

◆不幸な女に弱い男がいる。物悲しげだったり、身の上話だったり、そういうものにホロリと来る。

◆僕が助けてあげなきゃと要らんおせっかいを焼き、そして自分の尽力で女が幸せそうな顔をすることに幸せ(=自分の力を誇示できた満足感)を感じる。まぁ大体そういう男は、女が幸せな日常を送り始めると新しい刺激(=次の不幸)を求め、新しい女の尻を追いかけることで、やっと幸せにした女を以前以上の不幸におとしいれることとなる。

◆まぁそんな男の自己顕示欲を巧みに操縦して、甘い汁を吸う女もいるわけだから、どっちもどっちな訳であるが、不幸そうな女は大体が男の興味をそそるものだ。

◆「かわいい」という単語は古語では「かわゆし」である。コレを辞書で引くと「頼りない」「ひとりでは任せられない」という意味であり、つまり「かわいい」という言葉の中には「俺がいないとダメなやつだなぁ」というとても一方的な感情を秘めた意味合いを持っている。

◆美人よりも可愛い娘がいいなぁ、という場合、男の中には支配欲、自己顕示欲が多分に含まれていると考えてよい。自分よりも優れた部分(=自立した美という能力)を持つ女より、自分が守るのに適した(=頼りないと思える)大きさの女を選ぼうということだ。女や家庭を守るべきだという男のプライドを満たすには、自分が守ることの出来る大きさのものを選ぶというのはもっともな選択だろう。

◆恋愛観が多様化している現在、一括りに片付けられるものではないが、美女より可愛げのある女性の方が好まれるのは今も昔も変わらない。

◆世界中の多くの男性を魅了したMarilyn Monroe、その魅力は豊満なボディとコケティッシュで艶のあるルックスだと言われるが、実はそういう商品化された魅力の陰に見え隠れする、ノーマ・ジーンとしての寂しさや哀しさに惹かれるのかもしれない。彼女の歌声を聴いているとそう思わざるを得ない。

Marilyn Monroeの映画挿入歌を中心としたBEST SELECTIONを聴いていると、その優雅で華やかで魅力的な歌声の端々に、一人の少女としての心細さや孤独感を感じずにいられない。映画ではあまり気付かなかったそういう部分がクリア聞こえすぎるCDというのは、作った側からしては考えものなのかもしれない。

好々爺にならないで:Dr.John

at 2002 01/22 12:57

◆久し振りにDr.Johnの新作を聴いた。Creole Moonである。

◆近年のジョンはスタンダード中心の先祖帰り路線で、正直つまらなかった。Joe Jacksonがクラシックに、Eivis Costelloがバラードの世界にいってしまったように、ジョンもスタンダードJAZZの世界にいってしまったのかと思っていた。

◆しかし新作クレオール・ムーンは熱かった。94年のTelevisionの時以上に熱いNew Orleans FUNKを聴かせてくれた。

◆僕はDr.JohnのFUNKが好きだ。ゴスペルっぽい重低音の癖に、妙に動きの軽いジョンのピアノを中心としたRB FUNK。パッと聴きではStuffのようなRB Fusionに聞こえなくもない。しかし、それらより確実に音が重い、しかし軽妙なセカンドラインのリズムに載せてだみ声のジョンのボーカルが響いてくる。暑っ苦しいくらい熱いFUNKが聴くものの体温を0.5℃ほど上げてしまう。

◆GUMBO、In The Light Place、City Lights、Television、そしてCreole Moonぼくの棚にあるジョンはすべて熱いFUNKのジョンだけだ。

◆僕としてはジョンに対してはなるべくこの路線で行って欲しいのであるが、それは判り得ないこと。Televisionの時のように、「ちょっくらJAZZに飽きたから、久し振りにFUNKやってみるベ」的なかんじで、またスタンダードに戻っていく様な気がしてならない。まあそれもそれでいいのだろう。時には戻ってきてくれや。望むとすれば好々爺にだけはならないでもらいたいものだ(笑)

◆Dr.Johnの公式WEBはZuZuMan

大人のずるさ:ムーンライダース

at 2002 01/23 12:06

◆かなり夜型である。

◆朝は滅法弱い。高校の頃、母親にコップの水をぶっ掛けられたが気付かなかったらしい。また、本人は知らないのだが、起こそうとすると罵詈雑言を浴びせ掛けるらしい。眼が醒めると隣に寝ていたはずの娘が泣きながら立ち尽くしていたことが何度もある。

◆昼間は元気が出ない。外出も億劫だ。なのに陽が翳ってくるととたんにムズムズしだす。どこかに行きたい!遊びに出たい!! 深夜の僕の脳みその回転の早さは、昼間の自分と比べ物にならないくらいだ。夜9〜12時くらいがベストだね。その時間にモノを考えるようにするとうまくいく。

◆高校の頃は遅刻で進級が危なかった。大学では一限目の授業はすべて落とした。出版という業界を選んだ理由の一つには朝遅いというところがあったからだ。とても魅力的だった。

◆しかし今の同居人は極端な朝型人間である11時には眼がお眠モードに(笑)。いままでは、なんやかんやいっても夜遅い娘が多かったのでたいしたことなかったが、活動時間帯が合わない人間との同居ってのは結構大変だ。そして相手のほうが世の中でWhat We Call「健全」なので分が悪い。また定時出社の仕事になったので、朝起こしてもらうことになっており、もっと分が悪い。。。

◆結構寝つきが悪い。眼がさえている時だと、ベッドの中で3〜4時間ももんもんと起きている。となりで寝転ぶと15分も起きていられない相手がいると、起き出してネットをしたり、本やテレビで時間をつぶすわけにはいかず、なかなかストレスがたまるものです。

◆オンナノコの寝顔って弱いんだよね。無防備な顔を見せられると、こんな甲斐性なしがそんなに信頼されていいのだろうか? と胸にこみ上げてくるものがあります。そして自己嫌悪に陥ってしまいます。幸せな時は熟睡できるという人もいますが、ぼくはそうでもなさそうです。

◆そんな時は音楽をかけます。短いアルバムだと、終わった時に電源がオンなのが気になって結局起きだしてしまうので、なるべくロングプレイなヤツ、そして優しい音がいいですね、あんまり主張しない音が。でもそれで眠れるようになることってあんまりないですね。却って、この曲なんだっけ、とかピアノ誰だっけとか、結局布団を抜け出してライナーノーツ開いたりして。。。そしてまた眼がさえてくる(爆) 。寝なきゃ寝なきゃと自分にプレッシャーをかけすぎて、そのストレスで胃が痛み出す、自爆行為だ。

◆でも、そんな睡眠程度のことでグダグダ苦しんでいる30男ってなんだかとても情けないっすね。大人になりきれないなんてもんじゃなく、子供じゃんか(汗)。本当に大人になんてなれるんだろうか? さなぎのまま、大人のフリをして終わっていくのだろうか?

◆いっぱしの大人たちが情けないことばかりをいっているバンド、ムーンライダース。85年のアルバムANIMAL INDEXは動物の立場になって歌を唄うなんて変な企画だが、要するにあんまり情けないことをいうのはそろそろ大人だから恥ずかしい。だからいいたいことを動物にいわせちゃえ、というちょっと「大人のずるさ」が見え隠れするアルバム。

◆だけど動物に隠れて”首輪をとり えさを捜す 逃げてみせるさ”なんて言ってても、結局夢が見れる機械が欲しいと本音を呟かざるを得ない彼らの心の闇はとても大きいのかもしれない。闇を恐れ布団にくるまってもんもんと時間を過ごす不安、子供の頃から変わらない。

◆ってことで睡眠促進剤を手に入れました。。。これでバッチリ。。。かな?汗

カタルシスと封印:中島みゆき

at 2002 01/24 20:24

◆哀しい歌を聴く、哀しいストーリーを見る。人はそういうものに自分を重ね合わせることで擬似体験をし、また、そんなに不幸じゃない自分を確認して優越感や安堵感に浸る。。。いわゆるカタルシスというヤツだ。

◆世の中に溢れるカタルシス、流行歌、TVドラマ、映画、を通じて、そのような状況を味わうことで一種の精神浄化をし、人々は日々のストレスを解消する。しかし、近頃哀しい唄って少なくないかい?

◆癒し系、和み系、そのようなやさしさが人々の日々のストレスを消化していく。決して自分が当事者ではないという自信を求めるのではなく、当事者として進んで、尊厳を放棄することで、甘やかされたい、守ってもらいたいという欲求がカタルシスを駆逐しているのかもしれない。

◆まぁ哀しい歌といっても、ここまで哀しすぎるとカタルシスだとか癒しだとかという次元ではなくなるだろう。中島みゆき生きていてもいいですか。この真っ黒な地に白抜き明朝の文字、ジャケだけでも救いようにありません。取り付くシマがありません。

「振られたての女くらい落としやすいモノはないんだってね」「あんた何を賭けていたの、アタシの心はいくらだったの?」「生きていてもいいですかと誰も問えない、その答えを誰も知っているから誰も問えない」「キツネ狩りはすてきさ、ただ生きて戻れたら ねえ」「私がそこで生きてたことさえ覚えもないねと町が云うなら、臨終の際にもそこは異国だ」

◆まったく救われない、手を差し伸べることすら出来ない歌の数々。これに自分を投影して、カタルシスを感じられるのなら、かなり図太い心臓の持ち主だろう。もうまったく笑うしかないじゃん、ねえ。カラオケに「うらみ・ます」が入っているがこれを本気で歌う人っているのだろうか? 僕は歌うよ、手拍子入れて、合いの手入れて。。。そこまでしなくちゃ自分まで巻き込まれそうな不幸の数々。中島みゆきって人は、このアルバムを作るときに、何を訴えたくて作ったのだろうか? これで泣く事? 感動する事?? 「化粧」や「りばいばる」でカタルシスを感じる事はできるし「世情」や「時代」で考える事はできるし「歌姫」や「ファイト」に癒される事もある。しかし、このアルバムは何をしたいのだろう。。。? これを聴いた人に何を感じて欲しくて中島みゆきは歌っているのだろうか?

◆しかし、確かにいえることは、このアルバムの前「私の声が聞こえますか」「みんな去ってしまった」「あ・り・が・と・う」「愛してると云ってくれ」「親愛なる者へ」「おかえりなさい」には愛情や正義を切望する歌が多い。しかしこれ以後は、他人を癒したり励ましたり、他人の不幸を悲しんだり、たとえ自分の不幸でも前向きだったり吹っ切れていたり、となんか変化しているのだ(むろんそうでないものもある)。

◆「歌姫」や「ファイト」や「空と君とのあいだ」なんて、他人への応援歌はこれまでのみゆきには作り得ない。彼女は、このどうしようもない恨み節の塊のようなアルバムに、それまでの人生のつらさ、せつなさ、哀しさをすべて封印してしまったのかもしれない。そう思うのは僕だけだろうか?

◆自分自身のもっともドロドロした部分を、レコードにするという行為で対象化し、それを客観視することで中島みゆきは、一つの自分をふっきり、次の自分を探す旅に出ることができたのかもしれない。そう考えるとプライベートに貴重なアルバムだ。

◆公式HP「でじなみ」とファンページ中島みゆき研究所です。

アイデンティティ:WildMagnolias

at 2002 01/28 15:01

◆先日彼女と飯食っていたら、となりに毛唐と日本人女がすわっていた。しばらくすると僕らのことを英語で批評し出した。だんだんエスカレートしだす二人、アメ公はタバコ嫌いだろうからと、煙もくもくにしだすも風向きがNGで失敗。その内、タバコを吸っているのはアホだとか、彼はきっと酒のみでジャンキーだとか言い出した。

◆大体、女の英語は恥ずかしいくらいの日本語英語、それに僕の彼女は英語で寝言を言うくらいの非国民(笑)、二人の睦言のような罵詈雑言大会は、すべて本人たちの耳に入っているのだった。。。むかついたので煙草の煙で鬼畜米英の上着を10分ほどいぶしてやった。。。小市民なオレ(笑)

◆昔、アメリカに行った時、どうせ誰も日本語わからんし、と思ってショップで日本人同志で、商品に関して、色々ひどいこと言っていたらちゃんと聞いていてムッとされた。。。やはり分かる人っているんだよな。井の中の蛙だったなぁ。。。

◆帰国子女の多い大学に行っていたから、彼女らが外人と連れ立って得意げな光景は良く見る。外人と一緒というだけで、「私はあなたたちとは違うのよ」的なオーラを出している。まぁ英語がしゃべれるだけでエライという、GHQの統制以来の連綿とした世の中の風潮によって生まれた彼女たちになんの責任もないのは確かだが、とりあえずそういう旧態依然とした価値観にとらわれすぎていることにそろそろ気付こうよ。

◆世の中は個人の意識以上にグローバル化しているらしい。ほとんど海外生活の経験がなくても英語がわかる人間はゴマンといるし、きちんと英語でコミュニケーションのとれる人間の多くが、アメリカやイギリスに対して、その良さと同じ位、悪い部分も分かっている。また、多少の日本語を操れる外国人もかなり増えている。日本はこの世界の中で、言語を習得しようと他国の人に思われる程度には重要な国になっているのだ。

◆そしてたとえ、言葉がわからなくても自分に悪意を持っているかどうかなんて、気だけで分かる。そういうこと全てを全く理解できていない状況のママ成長してしまい、インターナショナル=母国不在状態になっている根無し草状態に飽きれてしまっているのは僕だけではあるまい。

◆自分の文化や国民性や町並みや表情、そう言うものをきっちり愛せて初めて、他の文化や民族を認められるのだと思う。そうしないと相手からは結局何者なのか分かってもらえない。外国に憧れている/自国を否定しているだけではアイデンティティ(=自分の立ち位置)は生まれない。アイデンティティ不在の人間を誰が信用するだろうか?

Wild Magnoliasの素晴らしさは、その音楽性の素晴らしさだけではない。自分たちがネイティヴアメリカン(要するにインディアン)であり、ニューオリンズに住んでいて、アメリカ人である。そしてバックのミュージシャンたちはニューオリンズの黒人であるという自分の立ち位置をしっかり見据えることによって、新しい音楽を創造したことである。たんにスタイルや音楽性への憧れや模倣からうまれた音楽ではなく、自分たちの血の中から出てきたもの、そしてそれを以下に現代的にするか(異文化とのコミュニケーション可能なものにするか)を模索・葛藤しながら生まれた音楽であることが素晴らしいと思う。だから彼らの音は揺らがない、信頼できる音楽なのだと思う。あとは好き嫌いだけだから。

◆もはや四半世紀前のアルバムであるファーストThe Wild Magnoliasだが、今聴いてもこれだけ興奮できて、これだけノレるのは彼らの音楽がいかにしっかりした作りのものであるかということの現れであろう

◆公式WEBはこちら→The Official Wild Magnolias Homepage

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