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先日はお疲れ様でした:Brinsley Schwarz

at 2001 08/03 14:04

◆先日、同じGaiaxの音楽HP主催者数人で酒席を設けた。ぼくと同郷のKajino氏来京に伴っての会であった。久し振りに音楽の話題で酒を酌み交わし、楽しいひとときであった。みな、自分のバックボーンとしての音楽体験があり、音楽に対する思いがあり、音楽への見方・聴き方があった。それを聴くだけでも楽しかったし、とても勉強になった。

◆一概に、音楽が好きといっても色々あるわけで、未だに自分と完全に趣味の一致する人に会った事がない。まぁ音楽なんて趣味の範疇なので、教科書があるわけではない。だから自分の経験則で趣味は広がるものなので、同じ体験をしつづけないと同じ趣味にはなりえないわけである。

◆何故、ぼくがBrinsley Schwarzを好きかなんて絶対分かりえないし、その同じ流れでBrinsley Schwarzが好きになった人としか100%は分かり合えないし、同じ音楽がを100%知っていることはありえないのである。

唐突にブレンズリー、話に付いて行けなくてごめんなさい

◆ちなみにBrinsleyまでの音楽の道筋を、とても簡単に、誤解を招く事を恐れずに書いてみよう。はじめて聴いたのは高校3年だったと思う。


中学受験のためテレビ禁止→AMラジオに嵌る→セイヤング→さだまさし→叙情派フォーク→ニューミュージック→佐野元春・山下達郎→サウンドストリート→坂本龍一→ピーターバラカン→ポッパーズMTV→ジョージャクソン→エルビスコステロ→ニックロウ→ブレンズリーシュワルツ


私立中学受験を思い立たなかったらBrinsley Schwarzには出会えなかったわけですな(笑)。中学受験したのも小学校で良い友達が出来なかったからである。人生って分からないですな(笑)。

◆同じ体験をした人いますか? 当然いないと思います。もしいたら、それこそ、個人としての自分の存在が危うくなってきます(笑)

ちなみにどうしてP-FUNKが好きになったかというと

1 サウンドストリート→FMラジオ→角松敏生の番組→シェリール→ジミージャム&テリールイス→FUNKへの興味→P-FUNK
                                                              
2 サウンドストリート→坂本龍一→ピーターバラカン→ポッパーズMTV→ニューオーダー→ロッキンオン→ミュージックマガジン→ブーツィー→P-FUNK


まぁ僕の音楽鑑賞史のキーワードはさだまさし・サウンドストリート・バラカンという不可思議なものなんだよね。近頃はJ-wave影響大かな。

◆話がそれてしまっているが、要するに
同じアーティストが同じように好き=同じ人生を歩んでいる=世の中に同じ人間は二人要らない
という事です。絶対的に話の合わない人が自分にとっては良いのであり、そういう友人を多く持つ事が必要であり、そうすれば互いに得る物が多いということである。JAZZFUNKな町長、テクノ・POPなkajinoさん、メジャーマイナーなPOPのスンヘロさん、SOUL・HIPHOPのゆうくちゃま。。。。その他、名前の挙げられなかった皆様、是非是非末永く御交友下さい m(__)m 


◆Brinsley Schwarzを忘れていました。PubRockの元祖であるブレンズリーは69年〜75年にイギリスで活躍したバンドでIan GommやNick Loweがメンバーでした。Crosby Stills NashやGrateful Deadなどのフォークロックやカントリーロックをイギリス人的な解釈で演じた音で、泥臭さやヘヴィさを薄めた軽やかなサウンドを聴かせてくれました。L←Rの黒沢健一さんなんかもとっても影響受けているらしいですよ。

◆そしてブレンズリーを当時Love Sculptureを解散したばかりのDave Edmundsがプロデュースすることで、Pubで演奏するRockであったPubRockがジャンルとして意識されていくわけですよね。その後、Nick、Gommがソロへ。70年代後半はNickとDaveのプロジェクトRockpileがイギリス中を回ったり、コステロ、ジョージャクソン、グレアムパーカーら「怒れる若者たち」やDr.FeelgoodやIanDuryらStuffRecordsな人々が出てきたりするわけですな。Huey Lewisの育ての親もNick Loweですよね。

◆ということでロック・ロカビリー・ニューウェイヴのジャンルで外してはいけないバンド、ブレンズリー、昨日ベスト盤Surrender to the Rhythmを中古屋でGETしました。コステロも唄った名作(What's So Funny 'Bout) Peace Love and Understandingももちろん収録されています。でもアナログの方が音が雰囲気出ていて好きです。これにはまったら、是非名盤Silver Pistolを手にしてください〜。


大人の遊び:Donald Fagen

at 2001 08/09 12:11

◆胃腸が弱っているらしい。肝臓も検診結果が再検査である。いつもチャラチャラした服装で、ゲームやマンガの話ばかりしているから、若い気持ちでいるが確実に身体は老化の一途をたどっている。どこかでメンテナンスしなきゃならんようだ。

◆先日、高校時代の友人たちと杯を酌み交わした。1970年生まれの31歳、まだまだ学生の延長のような青臭い集まりかと思えば、20代前半の様に若若しい者もいたが、所帯持ちらしく多少つかれた顔も見うけられた。

◆以前も何処かで書いたかもしれないが、30代というのは微妙な年齢である。若者ほど無茶も出来ないし、老けこむほどの威厳もない。大人にもなりきれないし子供のように夢も見られない第2の思春期(笑)なのである。

◆しかし、それを逆説的に言ってしまえば、まだまだ子供っぽい人間もいれば、みょーに落ちついてオヤジ化しているヤツもいるわけで、自分はどちらの人間だろう、どっちでもなければいいな、いや最悪パターンの「外見・考え方はオヤジ」「内面と能力はガキ」だけは避けたいな、などと考えてしまったのであった。

◆出来るのであれば、「深み」のある大人になりたい。人に信頼され、信用される人間、「オヤジ」ではなく「大人」、「ガキ」ではなく「若々しい」人間でいたい。遊ぶにしても大人としての力量とセンスと軽み(かろみ)を持った遊びが出来るといい。そう思うのだが、そうなれるのだろうか? 自分で自分をもっともっと成長させなきゃ無理だな、と思う今日この頃だった。

Donald FagenがファーストソロアルバムThe Nightflyで見せたのは大人の遊びであった。巷ではSteely DanとFagenのアルバムは何処が違うのだろう、といわれる。勿論、同じアーティストであるからしてかなり似た音作りをしていると思う。しかし、明らかにSteelyよりファンキーでリズミカルなアルバムだ。

◆スティーリーダンがベッカーとフェイゲンの共同理想による、スタジオワークの面において高度な完成を求めたPOPSであるとすれば、ナイトフライというソロアルバムは、高度な完成度を作り得る面々ではあるが、完成度よりも自分自身が楽しむことをメインにおいた作品だと思う。だから、GauchoやAjaで感じたような緊張感はこのアルバムからは感じられない。スティーリーと聴き比べると軽い感じすらしてしまう。

◆音楽性や云々よりも、自分の好きなJazzやSoulを自分流の解釈で音楽にする。自分がSteelyという「仕事」で蓄えた能力と技術と人脈を使って遊んでいる、そんなアルバムだ。そしてその軽みをもった「遊び」が多くの人々に受け入れられてしまうのも彼のそれまでの蓄積であろう。それは「子供」には出来ない「余裕」と「蓄積」のなせる技であり、「オヤジ」にも出来ない「軽さ」と「冒険心」であろう。

◆このアルバムが出たとき、フェイゲンは30代半ばである。自分がほんの数年後、こんな遊びが出来るような能力と技術と人脈を蓄えた大人として存在できるだろうかと考えるとなんともお粗末なものである。もっと一生懸命生きなければ、何も残らない30代になってしまいそうだ。

◆公式HPは→スティーリーダン・ドット・コム

閑話休題:猫が行方不明

at 2001 08/06 18:54

◆今日社内でこんなメールが【全社員】宛てに回ってきました。

お疲れさまです。

かわいい仔猫を拾いました。
我が家にはすでに猫が1匹いるので
どなたか代わりに飼っていただける方を
探しています。
よろしければ、周りの人にも聞いていただけると
幸いです。

【特徴】
●きじとらの男の子。
●生後1か月くらい(まだ赤ちゃんです)
●元気で好奇心旺盛な性格
●メチャクチャかわいいです!

【注意】
●簡単な健康診断はしましたが、寄生虫の検査はやっていません
●本当の赤ちゃんなので、あと1か月くらいは手が掛かります。
また、男の子なので、猫を飼った経験がない方や、ひとり暮らしの方にはオススメで
きません。

よろしくお願いします。

ちょっとカワイイ話、平和ですな^^

「猫が行方不明」Chacun Cherche Son Chat (a.k.a. When The Cat's Away) なんて映画ありましたね。面白い映画だった、なんたって映画本編より予告編の方が数倍面白い(失礼!)という稀有な映画でした。本編の内容は、そのままストレートに主人公のクロエがいなくなった猫を捜す話。そして色々な人情に触れたり、恋の予感がしたりと、フツーに温かい映画でした。

◆でも予告編はビートのきいたPOPSにあわせてぐるぐると映像が変わっていく。HIPでトリッキーな作品でした。

◆予告編はここでみれます。

思春期の憧れ:TalkinHeads

at 2001 08/08 23:43

◆糸井重里が「おいしい生活」を標榜し、セゾンが公園通りを中心にコンクリ打ちっぱなしや小物中心の消費生活の理想を謳い出した頃、ぼくは下世話な地方都市の生徒だった。

◆ムーンライダースが日本初のニューウエイブアルバム「マニアマニエラ」で産業革命を宣言し80年代は始まったがその革命はサービス業&情報産業を中心としたモノだった。そんな時代の幕開けとともに思春期をおくった僕には、西武セゾン的文化に大いなる憧れがある。

◆思春期の憧れというものはなかなか消えないもので、今でも時代の最先端文化よりも、バブル崩壊とともに斜陽産業となったセゾンカルチャーの方がカッコよく感じてしまう。

◆昨年、Talking Headsのライブ映画Stop Making Senseを10数年ぶりに見た。極力無駄を省いた無機質なステージに着膨れのような真っ白なスーツ。サカリのついた鶏のように身体中を痙攣させて踊り、首中の筋が切れるのではないかと青筋立てて歌う無様なインテリ男デイビッド・バーンが異様にカッコよかった。最高だった、涙が出そうだった。

◆Talking Headsは黒い音楽を目指していた。80年代的なブラックミュージックといえばアフリカ音楽の黒さだが、ポールサイモンと同じように、その黒さを自分たちの文化に矯正させて登用するという借り物競争音楽が、あまりに帝国主義的で鼻につくグループである。自分たちの価値観でしか音楽を解さない。他人のいいものは積極的に取り入れるが、自分たち側からの見方しかしないアメリカ白人の嫌なところが如実に現われた音だと思う。

◆しかしカッコいいのである。そこには自分が憧れた何かがあった。83年にハリウッドはパンテージズ・シアターで時代の最先端を行く若者たちが、80年代という新時代(高学歴ヤッピーたちの時代・3高の時代)の文化の方向性を示したライブ、「正気でいるのはやめろ」というそのパフォーマンスは、都会の最先端を憧れる田舎モノにはとても手の届かない貴重なものに写った。

◆ぼくとセゾン、僕と糸井重里、ぼくとデイビッド・バーンには刷り込まれた上下関係があるのかもしれない。

◆MLやFAQもあるファンサイト

最初の出会い:さだまさし

at 2001 08/13 16:33

月末になると「ゆうちゃん」は 薄い給料袋の封も切らずに必ず横町の角にある郵便局へ とび込んで行くのだった。仲間はそんな彼をみてみんな貯金が趣味のしみったれた奴だと飲んだ勢いであざ笑ってもゆうちゃんはニコニコ笑うばかり。

僕だけが知っているのだ、彼はここへ来る前にたった一度だけ、たった一度だけ哀しい誤ちを犯してしまったのだ。配達帰りの雨の夜 横断歩道の人影にブレーキが間にあわなかった彼はその日とても疲れてた。『人殺しあんたを許さない』と彼をののしった被害者の奥さんの涙の足下で、彼はひたすら大声で泣きながら、ただ頭を床にこすりつけるだけだった。それから彼は人が変わった。何もかも忘れて働いて働いて、償いきれるはずもないがせめてもと毎月あの人に仕送りをしている。

今日ゆうちゃんが僕の部屋へ泣きながら走り込んで来た。しゃくりあげながら彼は一通の手紙を抱きしめていた。それは事件からかぞえてようやく7年目に初めて、あの奥さんから初めて彼あてに届いた便り。「ありがとう 貴方の優しい気持ちはとてもよくわかりました。だから どうぞ送金はやめてください、貴方の文字を見る度に主人を思い出して辛いのです、貴方の気持ちはわかるけど。それよりどうか、もう貴方ご自身の人生をもとに戻してあげて欲しい」

手紙の中身はどうでもよかった、それよりも償いきれるはずもないあの人から返事が来たのがありがたくて、ありがたくて、ありがたくて、ありがたくて、ありがたくて。。。神さまって思わず僕は叫んでいた。彼は許されたと思っていいのですか? 来月も郵便局へ通うはずのやさしい人を許してくれてありがとう。

人間って哀しいね、だってみんなやさしい。それが傷つけあってかばいあって。なんだかもらい泣きの涙がとまらなくて、とまらなくて、とまらなくて、とまらなくては

◆ぼくが生まれてはじめて、鳥肌が立った音楽「償い」。とても重くてとても優しいアルバム夢の轍収録。まっさんはぼくの価値観や行動選択にかなり影響していると思う。今でもそらんじられるなんて。。。








AORって過激だよね:Ned Doheny

at 2001 08/10 23:31

◆AORとかソフト&メロウとか言われる、おしゃれで大人びたコンサバな白人音楽がある。

◆アコースティックな白人音楽であるフォークソングと、リズミカルでブラスまで入った重厚なソウル・ブラックミュージックとが、この保守的なイメージのAORを仲介にして結びつくというのはなんとも面白いものだ。

◆アコースティックギターをかき鳴らしていたアーティストが、だんだんメロディ重視になっていき、そのウチ、柔らかく爽やかなサウンドを求めだす。そうすると次第にサウンド志向が増していき、有名なスタジオミュージシャンを起用し出す。当時、スタジオを占めていたのはジャズから脱却しフュージョンへの流れを模索していたテクニシャンたち。彼らの多くがソウル-ファンクの影響を受けていたため、次第にベースはブチブチ切れていき、ギターはJB調のリフを繰り返す。ラッパ隊がつき、音が厚くなっていく。気がつくとそこにはアメリカ版ブルーアイドソウルが出来上がっている。

Ned Dohenyのデビューからの3作はまさにそんな感じだ。素朴でトラッドフォークなデビュー作。爽やかでウエストコーストなHardCandy、出だしの一曲目はまだ、トラディショナル風なギターで始まるが、ベースやパーカッションの使い方はすでに黒さを意識している。そして5曲目まで来るとAWBもカバーしているソウルのクラシックだ。

◆そして3枚目のProneまで進化すると、オープニングからしてブラスが響いている。コーラスもすでにRBだ。ブラックミュージックと違うのは、唸ろうとファルセットを使おうと、ボーカルが白い声をしていること。声帯だけは人種の壁は超えられないらしい。

◆日本だけで発売されたというProneが僕はとても好きだ。なるほど日本人好みの音をしている。日本の70年代後半の都会系サウンドと酷似している。

一瞬、鈴木茂とハックルバックかと思ったぜ(笑)。

◆ネッドの詳細は→

物悲しい風刺画:クレプスキュールコレクション

at 2001 08/13 13:38

◆クレプスキュールというレーベルがかつてあった。ベルギー発で知的でアンニュイな”おしゃれ”さを演出した音楽のレーベルだった。レーベル自体が統一的イメージで売っていくという商売方法のハシりだった気がする。

CREPUSCULE COLLECTION 4;DEATH LEAVES AN ECHOというコンピがレコード棚から発見された。87年リリースのこのアルバム、久しぶりに聴いても全然古びたかんじがしない。当時多少でも名が知れていたのはIsabelleAntenaくらいだったろう。しかし、その硝子のような透明感や、爽やかなんだけどどこか狂気を感じさせるヒヤっとした感触は今でも変わらない。

◆少々エレポップなポールヘイグ(まだ無名でした)から始まり、アンテナの名曲SeasideWeekendのボッサリズムに心地よくなる。思わず眠りそうになると、WimMertensの耽美でひ弱な小品の静寂さに目覚めさせられてしまう。そしてPaleFountainsのネオアコちっくな曲とPiscineCharlesの淡々とした「音楽図鑑」ぽい曲。少しずつ心地よさより、静寂の狂気度がましていく。

◆そしてTheFrenchImpressionistsの猥雑なジャズ(ボーカルの崩れかけた色気に高校生の僕は憧れたものです)、そしてA面最後はまったりとした物悲しげなバラード、TheBorderBoys、つまりルイフィリップ卿の曲で終わる。

◆そしてB面、ファンクに移る直前のゲンズブールのようなエレポップはWinstonTong、なんかBowie@80年代のへたくそなバラードのようだ。哀愁ありすぎて重たい。何故この人はこんなに重く哀しげな声なんだろうと聴き込んでしまう。52nd Streetもエレポップ具合も今ではお笑い種だが、ボーカルの女性が妙に攻撃的過ぎてたじろいでしまう。勝気な娼婦に迫られているかのようだ。

◆StantonMirandaの歌は白痴的、口から涎たらしてそうだ。そしてLudusという敢えてお洒落さを前面に出したような歌に戻ってこのアルバムは終わる。すべてが透明で白痴的、悲しみを隠して知性を保つ、そんなアルバムだ。

◆「死は残響を残して去る」そんなタイトルのこのアルバム、音もはかなげだが、両手いっぱいで顔を隠した少女のジャケも素晴らしい。ひとり放擲された悲しみを気丈さで覆い隠す、そのことが却って精神の崩壊を導く、そんな物語が浮かびそうな写真は、音楽を捨てて単身渡仏した佐藤奈々子さんの作品だ。

◆クレプスキュールという、1つの時代の風刺画のようなレーベルが残した儚い歌声がつまったこのアルバム、聞き逃せないものです。

海に行くつもりじゃなかったのに。。。:フリッパーズギター

at 2001 08/13 16:34

◆ぼくは海とともに生きている。。。らしい。

◆方向感覚は結構良い方です。地図あるいは住所だけで目的地にかなり正確に行き着くことが出来ます、道行く人に尋ねるのも躊躇しないし。千葉市内の某葬儀場へ地図もなしに行きつけたし、島根の元嫁さんの実家へも(寺だったので)寺の名前だけで行きつくことが出来た。しかし未だに横浜駅に車で行けないのです。。。

◆ぼくの方向感覚の基本は東西南北である。何も見ず、昼夜かまわず東西南北を知覚して生きている。それはどうも「こっちが海だ」というのが自分の中に確信的に生まれ、海=南という方程式の中で方向を決定しているからである。だから、たとえまっすぐに見える東西の道が実は婉曲していても気にならない。南の向きが確固とした実感で決まっているからなのだ。

◆しかし!! 海が南にないと混乱するのだ。東西南北がぐるぐる回って、間違った方へ向いてしまう。つまり北に海があると、東に歩いているはずが実は西、ってことが頻繁に起こって来る。ヤバイ。。。

◆横浜、というか神奈川県は海が東にあったり南にあったり、西にあったり、東西にあったりする。もうダメだ。。。先日も多摩から246を厚木へ向かうはずだったのに、246はちっとも現れない。もうすぐ横浜インターだろう、と思っていたら川崎インターに出てしまった。横浜駅の東口は、頭では分かっているのだが、南側のような気がする。。。実家の名古屋も東京も、一時住んでいた所沢も海は必ず南にあったから気付かなかったが、どうも海=南が染み付いてしまっているようだ。

◆そんなぼくだから、「海が見たい」って言われれば、地図もなく、最短距離で貴女の望みをかなえてあげられますよ(笑)、でもせっかく眠い目をこすりつつ湾岸線ぶっ飛ばしたのに海へ行くつもりじゃなかったなんて言われたら哀しすぎですよね。

◆そんな気まぐれでフラッパーな彼女でも、ビーチサイドで一緒にティーブレイク、コーヒーミルクのカップに口づければ、やさしくなってくれるかもしれませんね♪ もちろんBGMはフリッパーズギター、やわらかなPOPのリズムに声量のない(失礼!)英語詞が全編をおおっているからハッピーにはなっても邪魔になりません。89年のデビュー作です。

ナルシシズムと福祉:Dionne Warwick

at 2001 08/14 13:35

◆あなたの友人が入院したとします。お見舞いに行って元気付けるあなた、それはアガペですか、ナルシシズムですか??

◆ハビエル・ガラルダ神父はつづける。本当に友人が元気になることを望んでいるのならあなたはアガペを持っています。でも、友人を励ましている自分の姿を思いやりのある美しい姿だと思ったりしていませんか? それは愛でもなんでもありません、たんなるナルシシズムです。

◆もうすぐ24時間テレビである。また、募金箱を持った黄色いシャツが巷を徘徊し出すのであろう。足長募金・24時間テレビ・緑の羽根等々、ぼくはとても募金が苦手である。募金をすると偽善者になるような気がする。偽善をするくらいなら悪人でいたいと思ってしまうわけであって、例えば、じゃらじゃら小銭が手のひらの上に余っていてウザイというような利己的な理由でもなければ決して募金はしない(選挙や運動などの自分に関係あるカンパは別である)。

◆そんなぼくの姿を見て、可哀想な人がいるのよ(勝手に可哀想だと決めつけるなよ)とか、何かしてあげなきゃ(誰もきみに頼んでないって)とか、神様はあなたを見ている(自分の宗教観を押しつける)とかお説教をたれるキリスト教的偽善者(たぶん本人はそれが偽善であることに気付いていないのだが)には辟易する。他人のことを可哀想だって言えるのはその相手より優位に立ってみているということにあまり人は気付いていない。可哀想だと口にした瞬間、その人はいくばかりかの優越感に浸っているのだ。この優越感の悦楽は人の判断を狂わせてしまう。

◆友人が、以前ハンディキャップト相手のヘルパーをしていた。彼女がうんざりしたのは、ハンディキャップトのわがままではなく、ヘルパーたちのわがままであった。ヘルパーたちの方が、よほど、ハンディキャップトたちに精神的に依存している。つまり「可哀想な人たちの世話をしてあげている自分の姿」に満足し、その行為に自分のレーゾンデートルを預けているのだ。だから、自分がどれだけ彼らのことを考えているのか、彼らのために働いているのかを必死に主張し、そのためなら家族や友人や仲間という健常者(他に良い言い方ないのかね)が迷惑しても仕方がない、という本末転倒な行動決断をしている。そんな状況に辟易し、夢破れた彼女は精神的に不安定になってしまった(イジメも多いそうだ、本当に愛のある仕事なのか?)。ヘルパーは業務従事者であり、ハンディキャップトがカスタマーであることをもはや忘れている。

◆ボランティアという言葉も眉唾だ。たんに「自主的な」という意味のこの言葉、日本では「福祉」の類義語になっており、政治や媒体でさえ「ボランティアを義務付ける」という意味のわからない表現が許されるようになってしまった。自主的にやることはなんでもボランティアであり、強要されたり求められた瞬間にボランティアではなくなるのだよ。

「情けは人のためならず」(他人への思いやりは自分のためにやることだ)という言葉がある。昔の日本人は偉いね、ちゃんと物事をわきまえてるんだから。売名行為だったり、ナルシシズムだったり、仕事(稼ぐ手段)だったり、自分の利益のためだったり、そう言うことをちゃんとわきまえて慈善行為と呼ばれるものに参加するのはかまわない。しかしそれを「愛」だとか「神の名の下に」とか「福祉」だとか「誠意」だとかとは決して混同してはならないと思う。

Dionne WarwickFriendsのThat's What Friends Are For、エイズかなんかの募金の曲だった気がします。FriendsというのはGladys Knight Stevie Wonder Elton John Bacharachなんてそうそうたるメンバー、買わないわけがありません(EPでしたが)。たしかこの曲で1986年のグラミー賞で「The Best Song of the Year」を受賞したんですよね。すごく愛情を感じるいい曲です。その音楽が好きならチャリティがどうとか関係なく金を出せば良い。ナルシシズムを感じたいのなら金を出せば良い。でも、その音楽に興味ないけど、それで救われる人がいるから、募金のつもりで、というのなら、募金される側にも必死に歌うアーティストにも失礼だと思う。



忘れられた優しさ:JUMP FOR JOY

at 2001 08/22 20:01

◆いつからアメリカの音楽に優しさがなくなったのだろうか?

◆昔、アメリカの音楽は本当に優しかった。気品があってかつ優しい、懐の深い音楽だった。BennyGoodmanでもFrankSinatraでもいい。1日の疲れを取り、くつろごうとする人間にとって、とても柔らかく温かいものだった。懐が深いのか? その音楽は主張をしない、神経を刺激しない、ただそこにあり、必要があれば僕らを包んでくれる。音の切っ先が丸かったんだろうな。

◆ジャネットジャクソンでもバンヘイレンでもシスコでもスプリングスティーンでも。。。現代アメリカのトップミュージックはこのようにははいかない。自分を主張する、哀しみを・怒りを・喜びを表現してしまう。思わず身体が動きだしてしまう音楽も多いが、その動きに乗ってしまうと、大抵疲れてしまう(笑)。それらの音楽は決してOFFタイムを共有してはくれない。メアリーJや癒し系ミュージックなどはOFFタイムにピッタリだが、それらはOFFタイムを演出してはくれるが、それは出すぎた真似なのかもしれない。

◆60年代ビートルズとディランの時代、音楽が変わってしまったのかもしれない。。。

◆ワールドスタンダードの鈴木惣一郎による監修・選曲・リマスタリングのコンピJump For Joyは1930〜40年代のアメリカ音楽を集めたものだ。まだアメリカで音楽がビジネスになっていない時代、高貴なJAZZの狭間で市井で歌われたミュージシャン(アーティストじゃない、音楽はまだ芸術じゃなかった)たちの音楽、まだロックだとかブルースだとかって区分けもなかった頃のものだ。のっけからHoagyCarmichael、この人は20世紀最初のシンガーソングライターだという。そんな時代の音楽が20曲、荒い音源だが、とても心が楽になる。

◆「楽しくなる」とか「優しくなる」とかではない、もっと非能動的で非受動的な、誰にも促されず、誰の力も関わっていない感じ、つまり「楽になる」のである。いづれも聞いた事のない音楽家ばかりの20曲、50分であるが、深夜眠れないとき、このアルバムはとてもいい効能を示してくれそうだ。

◆鈴木氏のHPはQUIET ONE。このアルバムの解説も載っています。

今月のオトシャベリへ、●アーティストリスト


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