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生活の変化?:MaryJBlige

at 2001 03/29 16:20

◆先日、彼女が実家に帰った事もあり、久し振りに一晩、自分の時間を持った。

◆以前のぼくだったら、これぞ!とばかりに女友達をさそって呑みに繰り出していただろう(軽い呑み・飯なら女、朝まで騒ぐなら男、という感覚なので)。しかし、「さぁ今日何をしようっかなー」と考えはじめて、ふと思った。
「あれ? なんか思いつかないぞ??」
そう!しばらくご無沙汰をしてしまって、誘える人も少なくなり、新しい店も開拓していないので場所も、そして将来のため、なんて考えちゃって妙に財布の口も重くなってきていた。結局、まっすぐ家に帰って「HERO」を見ていた。。。宇多田?(笑)

◆な、なんてことなのだろう! この思考、この交友関係は本当にオレ? まずいじゃん、いやまずくないのか?? なんでこんなことになったのだろう。マジ落ち着いちゃったじゃん。このまま平凡ワールドに進むのか? それは俺の望みだったのだ。しかし、10年以上渇望していて、結婚までしても、ずっと得られなかった状況が突然やってきてしまった。はからずも動揺している。。。

◆すべては、あの「小娘」のおかげ(せい)だ。なぜ彼女はこうまでも俺を変化させてしまうのだろう。愛情と欲情と刃物と生死のかかった生活、まるでドラマのようだと、自分でも思うし他人にも言われるような僕の20代は本当に終わってしまったのだろうか? もう、街中で泣きながら殴り合ったり、ホームで追いかけたり、胃を洗ったり、傷だらけで抱き合ったりしなくていいのだろうか? 

◆思えば、いつも享楽的で、刹那的な生活をしていたと思う。将来のビジョンがまったく見えず、結婚していても二人で作る「家庭」というものが見えなかった。また、他人を信用できなかった。一緒に住んでいても、安心して家のことを任せる事も出来なければ、「家に帰る」というのがひとつのワークのようだった。熱が40℃あろうが、意識を失う事が出来なかった。自分の身は自分で守らなくては不安で仕方がなかった。

◆しかし今は違うようだ。PCに文字を打ちこむ僕の横で小娘は本を読んでいる。「歳取っても先に死んじゃ嫌だよ」なんて小娘は普通に口にする。ぼくは老後まで見つめて生きることが出来るらしい。明日わかれるかどうか心配しなくてもいい生活、生まれて初めての体験だ。

◆朝起きると朝食を作っている姿があり、夜、TVでも見ながら夕食を取る。何か真剣に打ちこんでいても、不意に周りを見まわすとそこにいる。
「歯磨き、切れそうだから買ってきたよ」
「洗濯モノ乾かすの、手伝ってよ」
「タオル置いておくよ」
そんな何気ない会話で1日が過ぎていく生活、気づくともう半年近くになる。。。

◆そんな生活を続けていれば、遊び相手もいなくなるわなぁ。。。これが一生の幸せなのかどうかの結論はまだ出せないけど、現在は安定という「新しい」世界を堪能してます。そしてそんなおおらかな感情を彩る音楽、これがいいかな? Mary J.Bligeの99年のMaryです。

◆このMaryの声、充実感あるよね。満たされている感じ、とってもいい。Sadeもそうだけど、女性の成長って本当に目を見張るものがある。ゲストも多数、みんなMaryよりキャリアのあるスゴイ人たちばかりだけど、彼らに頼るでも、彼らをしのぐでもなく、彼らを包んでいるような感じ。聴いているものも、その歌声の心地よさに包まれていく。今の僕の状態と同じだ。

◆Maryの公式ページは→

またもやマンチェスターサウンドで:ChemicalBrothers

at 2001 03/29 16:21

◆New Orderがついに活動再開するらしい。

◆昨年の興行的には大成功だった映画TheBeachで一曲だけ、印象に余り残らない作品を聴かせてくれたが、どうやら今度は、先行シングル+アルバムらしい。正式なる活動再開か?

◆それにしても妙なものだ。New Orderのことは1月に長文を書いてしまったが、やはり終わっているバンドなのである。その死体が腐食していく様がとても絶望的で、かつ虚無的で良かったのだが、彼らを聞いていた時分の自分と今の自分には当然10年近い差があるのであって、それはバンド自体も同じである。

◆おおむねのRockバンドと言うのは反体制的であり、反社会的であり、毒がある。しかし、歳を経ると共にメッセージも変化し、音も変化していく。いつまでも同じ「怒り」同じ「毒吐き」が出来るわけではないし、それではマーケットで生き残れないはずだ。

◆「怒れる若者」だったStingもCostelloも音楽の進化、クオリティの方向へ向かった。Grateful Deadのように純粋に音楽を楽しむ方向へいったものも多い。また、Bowieはまたスターダムへとオジさんパワーを空回りさせ、醜態をさらしている。Niel Youngのように頑固オヤジになるのもいいだろう。分別をつけなくてはならない年齢になったNew Orderは一体どうするのだろう?
◆まぁNew Order自体Joy Divisionの醜態でしかないと思う方も多いだろう。しかし、その醜態が進化するのか、それとも変化するのか、明るく吹っ切れたバニーの歌声は聞きたくないなぁ(笑)

◆そのNewOrder不在の空白の時間を埋めたのはChemical Brothersだった。バニーがボーカル参加しているから、というのではない。エレポップだからというのは、イメージ論として若干関係あるかもしれないが、なんとなく似かよった匂いがある。ケミカルの音楽も、ダンスホールでうつむきながら身体を痙攣させるのにぴったりな鬱屈さを持っている。

◆ビッグビートなどのムーブメントはちょっと苦手だったので、1・2枚目はあまり聞かなかったがSurrenderになって妙に聞き易くなった。マスマーケットを意識したのか? ゲストも多い(バニーもそうだ)。その結果がMusic:Responceのような屈折したエレポップ。やはりNew Orderを想起してしまう。

◆たぶんケミカルの公式ページ→

◆ここでNew Orderの新曲が30秒ほど聞けるらしい→

カテゴリーでは語れない:MaceoParker

at 2001 03/29 16:25

◆音楽を文字で語ろうとするとき、どうしても出てくる問題に、このアーティストはどんなジャンルにはいるのだろうか?というのがある。勿論、一人一人のアーティストの音楽性を大雑把なジャンルにカテゴライズすることは、「俺しか作れない音」を作っている彼らにとっては迷惑千万な事であろう。しかし、その場で音を聞かせられない状況で、他人に音楽性を伝える場合、どうしてもジャンルや××風という括りで語らざるを得ないし、それ以上にジャンルが存在しなくなれば、店頭でウン万あるCDから、たった一人のアーテイストを探す事が非常に困難になる。だからこそジャンルという概念が必要になる。そういう事を考えずに、雰囲気や感性で曲を伝える事の出来るSound媒体(ラジオ等)がうらやましい限りだ。DJ稼業というのもそうだ。彼らは音楽に対する敬意をまったく失うことなしに、その良さを伝えられる上に、自分の個性までも表現することが出来る。

◆そのジャンルが括りにくい時、言葉は形骸化してしまう。Prince殿下のように「全く新しい音」の場合、ただ、誉める/けなす事しか言葉には残っていない。こまったもんだ。そしてもう1つの状況としてクロスオーバーなものも苦労する。

Maceo Parkerなんてとてもジャンル分けしづらいアーティストだ。「なんで? Funkじゃん」って思う人も多いかもしれない。しかしMacioの曲を聴く限りにおいて、とてもFunkだと言いきれないものがある。ましてこのアルバムDial Maceoは、誰の作品か判らない状態ならば、良質なJazzFunk/Fusionのボーカルアルバムだといわれてもうなづいてしまうだろう。

◆ショップにおいて、Maceoのアルバムはとかく探しづらい。R&Bコーナーにある場合が多いが、FusionだったりJazzだったりすることもある。R&Bコーナーでも「M」にあることは稀れであり、P−FUNKのコーナーにあったり、James Brownの棚で見つかったりする。

◆たしかにJB'sやP-FUNKでの活躍が彼の知名度を上げることにつながったのは否めない事実だし、Liveでもそれらのユニットの楽曲を自分の持ち歌として聴かせてくれる。しかし、Maceoは本当にFunkの括りのみで考えられるアーティストなのだろうか?

◆本格的な彼のソロプロジェクトは90年のRoots Revisitedに始まると、僕は考えてる。70年代のソロはいい得てみればJB'sの別働隊だ。そしてその90年代のソロアルバムは古き良きR&Bの回顧から始まっている。JBやPーFUNKの熱く脂ぎった音とは違い、Maceoのソロはとてもソフィスティケートされてる。その洗練さにはFusionアーティストのそれのような感じがする。しかしSaxの音色はあくまでFunkyに「Blow!」している。歌声はR&Bのそれだ。そうやって見なおすと、このサックスプレーヤーの存在はFunkだけでもFusionだけでも語れない、本当のクロスオーバーだろう。

◆このアルバムDial Maceoには、P-FunkやJBの影は全く見えない。FredもPee Weeの姿もない。その代わりになぜかPrinceやSheryl Crow、Isley BrosやMcCartneyの名前が見える。そんなことが関係ないくらいこのアルバムはFunkyでゴージャスでPOPで緻密な作りだ。すでにMaceoはいままでのFunkカテゴリーで語る必要のないアーティストなのであろう。

◆Bootsyも90年代に入った頃から、暑苦しさよりソフィスティケイトされた音になってきている。P-Funkの行きつくところはJazzFunkなのだろうか。。。それにしてもこのアルバム、最初のダイアル音には苦笑してしまう。。。

◆公式?HPです

英国式ポピュラー音楽:XTC

at 2001 03/29 16:25

◆さて、大英帝国イチの変なバンドXTCです。

XTC was one of the smartest ? and catchiest ? British pop bands to emerge from the punk and new wave explosion of the late '70sーStephen Thomas

ErlewineはXTCのことをそのように評しています。この二つの?が示す様に、POPなんだけどなぁ、洗練されてるんだけどなぁ、なんかヒットチャートとは無縁なんだよなぁってバンドですね。

◆似た立場の人が日本にもアメリカにもいます:ムーンライダースとTodd Rundgrenですね。この3者はとても仲がいい。類ともですね。ライダースのアルバムにはXTCのリーダーAndy Partridgeがクレジットされてるし、そのXTCの86年の傑作アルバムSkylarking(画像左)のプロデュースはTodd Rundgrenに任せてる(いや、絶対任せてはいないはずだけど)。3者ともしっかり堅実に新作を出しつづけているし、POPSの魔術師のような扱いをうけてる。多くのミュージシャンに尊敬の眼差しで見られている、しかし売れない、しかし食えないほどではなく、きちんと音楽活動を20年以上続けていられるらしい。不思議だ。

◆そんなXTCに最初に出会ったのは市川哲史さん(Rockin'On)のラジオプログラムだった気がする。そしてToddプロデュースという鳴り物で買ったこのSkylarkingが僕の愛聴盤となるのもそう時間はかからなかった。Black Sea以降、New Wave路線からPOPに移行してきていたXTC(初期はエクスタシーと読ませていたとかいないとか)、程よくPOPになった時点での出会いはとても運がよかったのだろう。AndyとToddがどうどうめぐりのような議論に議論を重ね、互いに意固地に、互いに影響を受けてつくったアルバムであるSkylarkingはそれ以降のXTCの方向性を定めたアルバムとして、社会的評価もとても高い。

◆自分的には、英国的な湿った音と、まるでVan Dyke Parksのようなめくるめくメロディの流れにとても惹かれたものだ。この時はじめて「音の湿度」というものに気がついた気がする。みずみずしい森林の中にたたずんで妖精や小動物の動きを楽しんでいるような、そんな気分になる(もちろん、妖精や小動物といっても、日本的(サンリオ的)な可愛いやつじゃなくって、ドアーフとかエルフが闊歩する西洋魔法譚のようなイメージだ)。それまで、POPSの言語内で、森や樹木という自然を表現する音は、乾いた弦の音が多かったので、こういう音には非常に驚きを持ったものだった。

◆先ほど、「英国的な」という表現を使ったが、XTCは非常に英国的なバンドである。それはEngland的であってGreatBritenではない。つまりScotlandやIrelandを含まない(Walesは含まれてる)、ローマ帝国下のBriton(ハドリアヌスの城壁まで)の音を出すバンドなのである。わからないかなー、わからないだろうな(笑)。

◆英国的という雰囲気を一番わかり易く伝えているアルバムは99年に発売されたApple Venus Pt. 1(画像右)だろう。このアルバムは翌2000年発売のWasp Star (Apple Venus Pt. 2)と対になっており、1がアコースティック2がエレクトリックなXTCを見せるという企画だった。

◆アコースティックというと多くの音楽ファンが想像するのがUnpluggedのような、アコギを中心としたバラードアルバムか、トリオJazzのようなものだろう。しかし何事も一筋縄ではいかない頑固オヤジアンディのこと、室内楽のような弦楽を全面にだし、ホーンセクションというか管楽も多用、まるで「英国式庭園殺人事件」のサントラのような作りになってしまった。わかりにくければ、全体がThe Beatlesのエリナーリグビーだと思っていただいて結構だ(荒っぽいな〜)。

◆本当にPOPSのアルバムなのだろうかと思うくらい、静寂と格式の高さが漂う宮廷楽のようだ。しかし、何故かPOPな印象が残る。絶対これはポピュラーな音楽なのである。言っていることが矛盾するが、そうなのである。そこが、屈折したPOPアーティストであるXTCの存在理由なのかもしれない。そんな方法で大英帝国の伝統的旋律とPOPの理論を組み合わせ得ていくXTC。商業的には大成功を収めることが出来ないのはわかっていても、決して日和らずに古くて新しい音を作り出していく彼らはやはりSmartest?でChatchiest?なのだろう。

◆少なくとも、Andyが近親憎悪的感情で、Toddに汚された(コラボレートした)このアルバムを憎いんでいても、SkylarkingはXTCの最高傑作であろう。そしてApple Venus1は英国近現代音楽を凝縮したアルバムなのだ。わかる人だけわかれ(笑)

◆公式じゃないですかMLまでやってるXTCサイトです→。おっと日本のWebLinkまであったんでご紹介しておきます→

末路?:DavidBowie

at 2001 03/29 16:24

◆久し振りに見た沢田研二はどうしようもないほど、単なるオヤジだった。双子の姉妹を両脇に寝て「思い切り気障な人生」を送る「憎みきれないろくでなし」の面影はどこにもなかった。

◆「あーぁ生き残っちゃったんだな」。レノン、ボラン、優作、尾崎。。。いち時代を築いたカリスマたちの死に際はとてもはかない。儚いから伝説になっていく。年老いて醜態をさらすモノは伝説にならない。生き残るのなら、たとえばゲンズブールの様に、最期までカッコよく生きて欲しいと思うのは一般人の勝手だろうか(まあ勝手なことをいわれて甘んじなくてはならないのがショウビジネスの税金だが)。

◆でも自分だったら、やはり天寿をまっとうしたいので、カッコよく老いたいものだ。マッカートニーやエルトン・ジョンのように、昔の遺産を上手く再利用しながら、国民的存在になるのがいいのだろうか? ニール・ヤングのように頑固一徹、他人の言葉なんて聞いちゃいねえってのもいいのかもしれない。御大JBはフォロワーを育て、一派の惣領として君臨してる。トム・ジョーンズみたいに若者に支えられたままイカれた好々爺を演じるも楽しいだろう。

◆思えば、ジュリーの凋落や優作の逝去の時期は、調度日本の文化に裏表がなくなってきた頃だった。性やドラッグの問題が公然と語られるようになり、暴力団が知性を武器にしだし、街中に暗部がなくなってきた。新宿の奥地が普通に通う事の出来る場所になった頃だったと思う。例えば西条秀樹や田原俊彦のように、明るい人気者タレントとは違い、ジュリーはその妖艶さ、優作はその狂気さで人心を引っ張っていた。そんな裏的な魅力が、裏表のなくなる時期に消えていったのは時代の趨勢だったと思う。ベストテンがTOKIOホット・ワン・ハンドレッドになった。

◆同じように時代に自らの魅力の限界を感じた男がイギリスにもいた。サッチャー&レーガン政権になり、英米が新しいビジョンで立ち直り始めたときだ。華美で妖艶な暗い魅力が、スプリングスティーンの強い魅力、ヴァン・ヘイレンやボン・ジョビらの明るく強いハードロックに押されていった時代、オリビア・ニュートンジョンがレオタードで健康を訴える時代に、もはやドラッグ付けでユニセックスな魅力は失笑を買う対象だったのかもしれない。

◆宇宙から落ちてきた孤高のビジュアル系ミュージシャンDavid Bowieは時代の空気をその超能力で読み取ったのだろう。髪を短くまとめ、ブランドモノのスーツに身を固め、低音の発声と大人の色気を売り物に生まれ変わった。

Let's Dance!そんな言葉がBowieから出てくるとは誰も考えなかっただろう。そしてそのダンサブルなビートを聴いたときに誰のアルバムかわからなかった人も多いはずだ。

◆当時のロック雑誌を紐解くと、やはり裏切られただとか産業ロックになるのかというような拒否反応が多かった。Bowieは本当に星に帰ってしまって、今のBowieは火星人にのっとられる前の、一般人のBowieであるなんてエスプリの効いたものもあった。

◆明らかにファンを裏切る行為。しかし時代の流れ、自らの肉体の衰えを考えての結果なんだろう。もしかして、ジギースターダストという売り出しも、企画的なものだったのかもしれない。そう考えると、Bowieってスゴイエンターテイナーだったことになる。

◆マッカートニーやJBのような老い方もいいが、老いてもなお新しい時代に合わせていくBowieのような生き方もひとつの方法かもしれない。当時、中学生だった自分にはBlue JeanのBowieは理想的な男性の魅力を持って燦燦と輝いていた。

◆まぁ中年になってビジュアル系もないもんだ。ヤオイのネタにもならん。レボレボもそのあたりを乗り越えるように(笑)

◆Bowieの公式ページ→。ジュリーの全データが満載のファンサイト→、ファンクラブ澤舎にもリンクされてます。

女は顔だっ!!:aiko

at 2001 03/29 16:24

◆先日、レコ屋で一心不乱にディスクを漁っている娘をみた。なんとも嬉しそうな幸せそうな顔だったのが印象的だった。

◆オヤジ臭いかもしれないが、女の子の笑顔が大好きである。なにか好きなモノに対する、とても愛情溢れた笑顔は、何物にも代えられないモノだ。そしてそれが自分に向けられたモノであったとき、それはとてもかけがえのないものだと思う。

◆恋人と歩いている女の子は本当にイイ顔をしてる。好きな仕事をしている時の顔も、好きな物に浸っている時のもそうだ。そんな顔が見たくて、ついイイ人になってしまう(笑)(まぁ大体がもって、女好きなんだけどね・・・)。男はそう言うとき、ある意味精悍な顔になる。しかし女性は本当に嬉しそうな顔をする。その笑顔のためならなんだって頑張ってやる、そんな気になる。

◆女は顔だと思う。顔といっても「作り」ではなく「表情」だ。色々な時の、それぞれの表情、それが魅力的な時、自分は「イイ女」だと感じる。また、そんないい表情をする「イイ女」は充実した生き方をしている/しようとしている。決して生きることを無駄に過ごしていない。一生懸命なのだ。そんな娘が好きだ。40になっても50になっても、腐らずに自分に一生懸命な女の人はイイ顔をしている。

◆また、自分は女の娘と一緒に寝るのが好きだ(笑)。(実は全く他人である)自分の隣で無防備に、安らかな顔で寝息を立てられると、凄く信頼されているような気がしてきて、自分はたいした人間じゃないのに、申し訳なくて、そんな顔を見ていると絶対守っていきたい、と感傷的になる。単純な男である(笑)。

◆だから好きになる相手はかなりタイプはバラバラである。しかしみんなイイ表情をしている。イイ表情はほんとうにかけがえのない宝物だ。

aikoの歌もいい表情している。別に音楽的に大したものではない。そんなに歌が上手いわけでもないし、ルックスも芸能界ではいいほうではないだろう。しかし、彼女の「花火」を聴いた時、この娘はイイ表情をする娘なんだろうな、と感じた。

◆切ない女心を歌う歌が多いんだけど、決して後ろ向きではなく、情念を感じる歌でもない。両手を太陽にかざしながら、「だぁい好きぃぃ」と笑顔を振り撒きそうだ。こういう娘の歌は元気になる。元気にしてくれる歌は好きだ。

◆画像は2001年2月の新譜初恋。オフィシャルは→

春に浮かれてる??:山下達郎

at 2001 03/29 16:23

◆春です! 暖かくなり生命力が溢れ、希望沸き立つ春です!! いやー苦手ですわ(笑)。

◆なんか暖かいのって苦手で、昔ッから寒い国に住みたいとばかり思っておりました。アキ・カウリスマキの映画「マッチ工場の少女」のような、ちぢこまった空が好きなのである。夜とか冬とか、そういうネガティブイメージな気候になると、とかく元気になる。アマノジャク?

◆なんたって幼少のみぎりから、低血圧デブである。その上に眼が明るさに弱い。暑いのも明るいのも朝もダメダメなのだよ、だから深夜にエアコンの効いた社内でうごめく出版業を生業にしているわけであって、そんな僕をキャンプや海に連れ回したTちゃんとの恋は無論哀しい終結を迎えたわけであった。

◆だからといって、部屋から1歩も出ずインターネットだけがお友達、1日中新しいアスキーアートを考えるのが趣味で、好きな女の娘はバトルアスリーテスのあかりちゃんであって、決して耳の替わりにドライヤーがついているメイドさんロボが出てくるゲームのあかりちゃんじゃないんだ!と銀縁眼鏡の下に、涙をためて主張するような夢見るおおきなお兄ちゃんなわけではない。街に繰り出すのは大好きなのだ。

◆間違えないで欲しいのはアウトドアが好きなのではなく、街に出るのが好きなのであって、当然、街では室内に入る(笑)。レコード屋、本屋、映画館、呑み屋、みんな室内だ。そのエアコンの入った室内で僕はリラックスして青空や大海原を映し出した映像を楽しむという贅沢で矛盾した人生を送るのである。寒い街路で木枯らしに吹かれてイヴモンタン気取っちゃうのもまた楽し〜。

◆そんなインドア派な僕は、やはりインドア派なアーティストのほうが得意なのであって、Todd Rundgrenや鈴木慶一のように、暇があったたスタジオに篭りっきってしまう奴にはシンパシーを感じてしまう。Sympathy For The Devil♪ でもしかし、それだけには飽き足らず、スタジオに篭りきって、ほとんど自分が体験しないようなリゾートやアウトドアのイメージを作り出しちゃうような贅沢で矛盾した音楽活動ってのはすごく愛情を感じてしまう。そういって思い浮かぶのはやはりブライアン・ウイルソン@BeachBoysと山下達郎だろう。そんな虚構の自然を贅沢に楽しむというコタツでアイスクリーム的人生は楽しいものだ。

◆今でこそ山下達郎=クリスマスイブというイメージが強いが、僕が学生時代は、Ride On Time等の影響でヤマタツ=夏! のイメージだった(そういえば角松敏生も夏だったなぁ)。アルバムもFor You(画像左)のようなものが続いていたし。しかし、長髪にさえない青白い表情で、一人黙々とレコーディングに励み、「僕のライブでは音楽をじっくり聴いて欲しいから、立ちあがったりしないで欲しい」とのたまう男は少なくともサマーバケイションとは程遠い音楽職人(アルチザン)であった。

◆彼が、夏(=売れ線)を捨て、自分らしく音楽に対峙する姿勢に戻ったアルバムPocket Music(画像右)がとても好きだ。「土曜日の恋人」のような昔なつかしいDounTownPOPや、「ポケットミュージック」「シャンプー」のような精巧に作られたミディアムソング、メッセージ性の強い「THE WAR SONG」など、ヤマタツの魅力が充分に詰まっているだけでなく、新たな実験も多く、これ以降の彼の方向性をしめしたアルバムだと思う。

◆「永遠の夏」という虚構を作り上げる以上に「良質POPSを生み出す」ことが、自分の使命だと腹をくくった作品、それがこのPocket Musicであり、その決心は見事受け入れられたのであろう。彼は今も日本音楽界の超一流のアーティストであり、音楽世界の玄人アルティザンとして認識されている。

◆彼の公式HPとデータの多いファンページを紹介しておきますデス。

至高のFUNK LIVE:The Legendary METERS featuring J.B.Horns

at 2001 03/29 16:23

◆ aiko、山下達郎と続けたらレスポンスが多くなった。やはりメジャーなアーティストって、マニアの集合体であるGaiaxでも反応いいのね。。。

◆ 気をよくしたので次はレスの少なさそうなモノでいこう(爆) 。このごろあんまり音楽の話をまじめに書いていないので、そろそろちゃんと音楽について語ります。

◆ ということで僕のBestアルバムFunk部門とでも行きましょう。もちろん、僕の好きなアーティストはJBやP-Funkだったりするわけですが、それはFUNKに限ったお話で、Ry Cooderとか大滝詠一とか各ジャンルで色々いるわけですよ。そしてジャンルとして呼んでいいのかどうかわからないのですが、ニューオリンズ音楽とかセカンドラインとかいわれているモノの中にも、好きなアーティストが多く、Dr. JohnやらAllen ToussantとかDirty Dozen Brass Band、若手ではAll ThatだったりGalacticだったりするのですが、概してニューオリンズファンクとしてBlackのジャンルに入れたい彼ら、しかしそのジャンルの有名人の中に白人が多いので、いつも困ってしまうのです。レコード屋においてもPOPSだったりBlackだったりしてジャンルとして確立されていない今日この頃さみしい限りでございます。

◆ そんなニューオリンズ音楽の中で、ぼくがもっとも好きなアルバムは、The Legendary METERS featuring J.B.HornsLIVE AT MOONWALKERであります。つまりネヴィルブラザーズの前身だったMETERSが歴史的に再結成したバンド(The Legendary Meters)とJ.B'sのホーン部門(つまりP―FUNK的にいえばホーニーホーンズ)のジョイントステージのライブアルバムなのです。この説明だけで「聞きたい!」と思ったアナタ、かなり好きモノですね(笑)。

◆ 91年のスイスでのライブで、ミーターズ側はジョージポーターJrとレオ・ノセンテリ、D.バティストJrとデビッド・トカノフスキー(!)というアート・ネビル抜きのちょっと残念バージョン、そしてホーン側はメイシオ、フレッド、ピーウィーという完璧版という構成。アートなしなのは惜しまれるが、そんなことは微塵も感じさせない熱いライブなのです。METERSの69年のヒット「LOOK A-PY PY」のイントロからご存知「Funky Good Time」そしてJ.B'sの「Pass The Pears」とJB.Hornsリードでライブが始まると、次はMetersサイドが頑張って「Jungle Man」、ノチェンティリのギターソロから始まるジャムっぽい「Africa」(メイシオのホーンもスゴイ!)へと続く。

◆ そして聴かせる曲が始まるのだが、なんとメイシオリード、ミーターズリズムでのマービンの「Let's Get It On」! 唸る様なサックスを充分聴かせ、緩やかに、これもマービンの「Sexal Hearing」へと続く。僕的には一番の聴きどころかな。ラストはミーターズ最大のヒットアルバムの主題曲「Fire On Bayou」で、ホーンもリズムもギターも大爆発し、メイシオのソロ曲「Children's World」でしっとり締める。

◆ なんともいいアルバムなのである。メロディアスでグルーヴィで重低音、なんたって飽きないのである。前のNY Rock&Soul Review(2月参照)もそうだが、一流のアーティストたちのセッションほど、楽しいものはないのだ。ベスト曲満載だし、互いにプロとしての競争意識からか非常にレベルの高い演奏をしている。

◆ このアルバム、ジャケもとても味があるのだが、お見せできなくて残念。発売がスイスの会社らしいのでアメリカ盤も出てません。CDナウにもないですが、とりあえず買って間違いのないアルバムです。

2001年11月に再発売されました。今回はブートレグじゃなくて正式リリースです。また、ようやくジャケもお見せできる様に。。。こちらは古い盤ですが。。。

ニューヨークに行きたいなぁ:GeorgeGershwin&WoodyAllen

at 2001 03/29 16:22

◆小娘とウディアレンの映画を見に行くはずだったが、喧嘩になり結局いけなかった。その代わりにビデオを借りるくとにした。久しぶりに見たウディの'79年の映画「Manhattan」、いつまでも大人になりきれない中年男の揺れ動く恋心と隠し切れないさびしさを、街中の雑踏がかき消していくさまが絶妙にあらわされていて、何度みても浸れる映画である。

◆ウディの映画のよさは色々あるが、その中でも僕は、彼の音楽のセンスがとても好きである。本人もクラリネットを吹いているくらいだから、彼の音楽へのこだわりはすさまじいものがある。ほとんどの映画に40年代前後のビッグバンドジャズが効果的に使われている。ビッグバンドジャズというとなんとなく古めかしく感じるが、この人の映画では古めかしさよりも「温かみ」を感じさせる使い方がしてある。彼の映画を見終わると、冬の暖炉や、家族の団欒、クリスマスパーティ等の他人の体温を感じたくなる気分にさせられる。なんとなく心も広くおおらかになったりして。

◆「Manhattan」ではGeorge GershwinのRhapsody In Blueが多用されていた。朝焼けの摩天楼をバックに、クラリネットが立ち、ピアノが絡み合ってくる。この20世紀屈指の名曲には、やはりニューヨークが似合う。そして次第にアングルが地面に近づき、眠らない街を徘徊する、すさまじい数の人々・車が目に入る。そうすると音もブラスが強まり、厚く重くなっていく。この曲は都会の夜明け・人々の活動の幕開けを、映像のように的確に描いた音楽だと思う。感服。何度も繰り返し映画の中でこの曲のイントロが流れるが、その度に、何かが始まるように胸が高鳴る。

◆そんなことで久しぶりにGershwinの名曲を味わいたくなり自前のアナログ箱を漁った。取り出したのはGershwin in the Movies。フランスはMilan社がLeonard Slatkin with the St.Louis Symphonyに86年の演奏させたものだ。Rhapsody In Blue、Lady Be Good、Shall We Dance?等のガーシュウィンの映画の曲を8曲収めたアルバムであるが、そのメロディの美しさ、心地よさには脱帽してしまう。どんなPOPSよりもPOPSらしい旋律、この人が現代のPOPミュージックの元祖なんだろうなぁと改めて実感する。

◆このアルバムの多くの曲は歌入りなのだが、その歌が非常にいい雰囲気を出してる。Wilhelmenia Wiggins Fernandezというフランスの女性ゴスペルシンガーでジャンジャックベネックスの映画「Diva」にもシンシア役で出ている。あまり太かったり、厚かったりする声ではないが、妙に都会的洗練さをかもし出すので、ガーシュウィンの曲にぴったりだ。

◆こうやって彼のヒット曲のほんの一部だけだが聴いていると、20世紀を圧巻したアメリカという国のパワーをひしひしと感じる。

◆客観的に考えて、20世紀最大のコンポーザーはガーシュウィン、ラヴェル、マッカートニーだと思う。

◆画像左は映画ManhattanのDVDジャケ、右はアルバムPlays George Gershwinのジャケット。Gershwin in the Moviesのジャケ画像は残念ながら見当たらなかったが、Plays〜は同じ写真を使っているのでこちらを掲載することにした。

師匠、腰を上げてくださいっ!:大瀧詠一

at 2001 03/29 16:21

◆ロンバケである。20周年を記念しての再発&インスト版の追加。僕にとってはCDへの買い替えのいい機会となった。音はわるくない。とてもクリアになっていて、こんなところにこんな配慮が、と発見する部分もある。たとえば「雨のウエンズデイ」、美しいメロディとエレピの美しい佳曲だが、このリマスターではベースとドラムのリズムセクションの生々しさに耳が奪われた。そして音がクリアになった分、「Pap-Pi-Doo-Bi-Doo-Ba物語」や「FUN×4」のおもちゃ箱をひっくり返したような楽しさが数倍膨れ上がる。

◆紹介が遅れました、大滝詠一師匠のアルバム Long Vacationであります(笑)。再発を期に、何か書こうとしたのだが、どうしても愚痴っぽくなってしまう。というのも。。。

◆どんなミュージシャンも越えられないことをしたいといって、「アルバムを出さない時期」で誰も越えられないようにするってどうよ? 「ナイアガラトライアングルVol3」も「1999ナイアガラ」も裏切られて、「2001ナイアガラの旅」にかけるしかない今、師匠は何をしてるんでしょう? 何年待たせればいいんでしょうか? あぁそうさ船頭がいなくても船は出るさ、でもね、でもね、師匠、みんな待ってるんだから、あのFMステーションでの「Each Time 発売記念インタビュー」以来、みんなずっと待ってるんだから、ねぇ、当時あなたの音楽に胸をときめかせた中学生はバツイチになっちゃいましたよ、でもね、でも待ってるんだから。こんな子供だましのリイシューでお茶を濁さないでさ、千駄ヶ谷のスタジオ入ろうよ、バックミュージシャン30人でも40人でも呼んでさ、駐車場満杯にしてさ、お願いしますよ〜っ!

◆閑話休題

◆本題に戻ろう、再発ではなく、ロンバケ自体の話に戻りたい。ロンバケが世に現われたのは1981年、前作Niagara Calender以来数年ぶりの彼自身名義のアルバムであり、Niagaraをたたみ、CBSソニーへ移籍した第一作目である。日本中のナイアガラフリークが期待した一枚であったろう。しかし、それ以前のNiagara Soundとはまったく違ったこのアルバムがリリースされたときのナイアガラフリークの気持ちはどうだったのであろうか? 

◆僕は後追いなので、師匠を最初に知ったのがこの時代だったのだが、それまでのNiagaraといえばウォールサウンドをはじめとする伝統的Rock&Popsの伝道者の位置であった。何故売れなかったのかといえばその歌詞の不真面目さ(日本ではPOPSといえば恋愛歌であり、「しゃっくりママさん」が歌詞になるのはジョークソングでしかなかったであろう)と、あまりにも世界中の音楽を紹介しすぎて一般のユーザーには追いつけないものであったのだろう。

◆それが、松本隆が詞をつけたとたん、夏の甘い恋愛POPSになり、ジャケットもとても「福生ストラット」と同じ人が作ったとは思えないほど、ゴージャスでリゾート風で、キャッチーである。コマーシャルなんかにも頻繁に使われ、もはや流行の中心一直線!としか言いようがないモノである。昔のRockin'On的にいえば「コマーシャリズムに身を売った売奴」になった感じがしたのではないだろうか。背信行為?そのあたり当時のナイアガラフリークたちにぜひとも聞いてみたいものだ。能勢さんとかね。

◆しかしながら、このアルバム、20年の時を経て聞いてもなお、驚かされる精密な作りだ。当時の可能な限りの技術を使った高度な録音、機械的にエコーを作るのではなく、多くのミュージシャンに一度にプレイしてもらい、人間の微妙な音のズレをもってエコーとする、という一例で見てもわかるような音自体に対する細心の心遣い、そして甘い歌声と、外見は変わっても、まったく変わらない洋楽に対する愛情とリスペクト。すべてが今でも最新アルバムであるかのように伝わってくる。名盤なのであろう。しかし、このアルバムが名盤なのではなく、師匠が名人なのであると改めて思う。

◆そんなこんなを考えながら、思わず師匠の70年代のベストアルバムDebutを聞きかえした(あぁなんでBlack VoxもBlack Bookも買ってしまったのだろう)。「空飛ぶクジラ」「サイダー」「指切り」、やはりこの時期の師匠が一番好きだ。彼からアメリカの音楽のすばらしさを学んだ気がする。思わず口ずさめるナンバーの数々、もっとも正しいPOPSのあり方だと思う。ほら誰でも口にするでしょ?
「あーらよぉ出前いっちょおおおお」(笑)

◆ナイアガラについて知りたければ、ナイアガラリンクへ行こう、公認非公認サイトがいっぱいです。

◆わすれてた、SingA Long Vacation部分は、カラオケでした。主メロはチャッチかったです(笑)。


年度末最後の爆弾!!:m-flo

at 2001 03/29 16:21

◆今日のタワレコはすごかった! 宇多田とあゆとm−floのアルバムに林檎のマキシシングル、すべて同日発売なんだから。お前らちょっとは日をズラせよ、といいたかったが、今期の売上に計上できる最終搬入なんだろ、販社も大変だな。宇多田とあゆ、どっちに軍配が上がるか楽しみだ。

◆さて、m−floのニューアルバムEXPO EXPOである。前作がとても力あふれ、そしてバラエティにとんだアルバムだっただけに、自然と期待が沸く。そしてメジャー化(ブレイク後)最初のアルバムである。アルバム引っさげてのライブツアーもあるだけに、どうしても失敗できまい。普通こういう場合は

 1 前作をなぞらえた無難なアルバムでファンの流出を防ぐ

 2 いきなりメジャー路線に走り、ファンを失望させる

 3 天狗になって、独自の路線を進み、既存のファンのみに専従する

 4 急いで作ったのでシングル曲以外に聴くに値するものなし

◆1がヒューイルイスのForeやスクポリのProvision、2がカメオのMachismo、3がコーネリアスの69/96やジョージャクソンのBody&Soul、4はアイドルモノなど多数、ってかんじかな。

◆さて、m−floはどうなったかとドキドキしてアルバムを聴いた。

Σ( ̄Д ̄;)! 前とおんなじじゃん!!
全然かわんねーじゃん!!! ( ̄□ ̄;)!!
でも
でもでも
でもでもでも
カッコいい!!\(☆o☆)/

◆なぜかってーと、このバンド、全くちがった色とりどりの音楽をmーflo風味にしてしまうのである。HIPHOPもありました、ソウルも、FUNKもバラードもJazzっぽいのも、POPSも雑多に入ってるんだけど、全部誰も真似できないくらい完全にm−flo的、どんな日本人にも出来っこない(DNAが違うとしかいいようのない)リズム感、そして黒人のFUNKYさとは全然違ったドラマチックなFunkサウンド、どちらかというとボサノバの深夜バージョンってかんじがする(言葉足りないな)。そして英語も日本語も全然関係なくメロディのよさで作っていく旋律。すべてのルールから開放された立ち位置から、このバンドはリスナーを見ているんじゃないかなと思う。

◆そのm−flo風味ですべての音を包んでしまっているので「全く変わらない」感じがするのであるが、一つ一つの楽曲を見るとすべてが全くちがったアプローチで作られているのが分かる。

◆先行シングルのCome Againのようなスピーディなのにドラマチックな曲もあれば、Yours Onlyのようなメロディアスでソウルフルなナンバーも。また、How You Like Me Nowのような流暢なHIPHOPも珍しい。不似合いな分スパイスの役割をしているインタールードも普通なら失笑ものだ。ラスト曲にラップだけの曲を入れているのもすごい冒険だな。

◆そう、冒険!この言葉が似合う、前作同様「冒険してる」アルバムでした。

◆前作が近未来のエアジェットに乗ってワールドワイドな音楽の旅を楽しむというコンセプトだったが、今回は旅はしないで万国博覧会で世界中をひとまとめに味わっちゃおうって感じ。ちょっと世界が小ぶりになった分、凝縮されたのかな?(笑)

◆前作と同じくらい冒険的なExpo Expoですが、前作よりVerbal主体のアルバムになった気がします。だからとっても攻撃的な印象を受けます。その攻撃性をLisaのメロディアスな旋律が癒してくれる、そんな微妙なバランスが素敵です。

◆まぁ聴いて損はないでしょう。でもこのユニット、今後どこへ向かうんでしょうか?すごく楽しみ、ちょっと心配です。まぁこんな個性は日本のほかのバンドには出せない「正真正銘のオリジナル」なものでしょうからね♪

◆初回生産分はスクリーンセイバーつきです。公式サイトはm-flo.com


音楽じゃない話題:椎名林檎

at 2001 03/29 16:17

◆林檎の新譜シングルがよい。「真夜中は純潔」だっけ? バックのスカパラが音をかなり締めていて、林檎の高圧的な声調を押さえている。林檎の曲は、声に負けてしまうことが多いので、これくらいの方が聴きやすきて良い。

◆林檎の曲はわりといい曲が多いのだが、アルバム通して聴くと、なんか印象が薄れてすぐ聴かなくなってしまう。Misiaの新曲「RHYTHM REFLECTION」 もトーキンボイスのような処理がしてあって結構FUNKY。近頃、歌の上手さを強調するようなバラードやミディアムが続いており辟易していたので、このように曲調自体を売りにする曲が出たのはいい。久し振りに新アルバム聴いてみようかしらん。Misiaは「つつみ込むように…」は好きなんですが、それ以外はなんか曲自体の魅力を感じない曲が多くて。。。結構流しております。

◆大体近頃の若手はアイドルなのかアーティストなのか良くわからない!! アイドルなのにアーティスト気取りで、いいプロデューサーとかいいバックミュージシャンとか使うからシングルは結構クオリティ高いのだ。しかし! 底がまだまだ浅いわけだからアルバムにするとその浅さが透けて見えちゃってどうも良くないねぇ。完全にアイドルなSmapやモー娘のほうが完成度が高いアルバムを出しちゃっててちょっと笑えるしね。昔のアイドルはへたっぴぃで良かったな。アルバムに期待持たなくて良くって(笑)。期待しないで聴くのと、期待してハズされるのではかなり違うからねぇ。

◆なんてオヤジ妄想系愚痴を垂れていてもつまらないんで本題に入ろう? あれ? 今回なんだっけ。。。あぁ林檎だ。。。日本人が続いてるなぁ(汗

◆林檎って面白いキャラですよね。レトロとコスプレと文学風、歌と堕落風味は戸川純の亜流だけど、そのキャラ立ての凄さといえば、そんじょそこらのタレントには真似できない。これだけ個性的なキャラ立てなのに主張がまるで存在しないのも驚き。つまり雰囲気や服装・文体だけで今の個性を作り上げているのだ。こんなタイプは今までにいなかったのだろう。

◆レトロっていうとあがた森魚?コスプレは声優さんたちだな、文学風とか戦前っぽい文体はオーケンを髣髴させるよね、で戸川純、しかし、そのどれとも似てない超「林檎」的な個性。スゴイと思う。音楽も、彼女の中では、その個性を形作る道具の1つなんだろうなと思わせる。大体たいした音楽じゃない。でもたいしたキャラクターだ。これこそ虚構=「ショウビジネス」だな。

◆たかが一人の娘だが、その存在は完璧な虚構を作り上げてしまった。それが椎名林檎。夢見がちな若い娘たちが夢中になるのもわからんでもない。おいしいビジネスだ。

◆公式HPは→

難攻不落こそ魅力なり:FrankZappa

at 2001 03/31 05:21

◆あまりに理解できないものに出会うと、価値観が根源から揺らいだり、自分がどうしようもなくアホに見えてきて、何故だかわからないのに笑い出してしまうことがある。アイルランドの国民的作家James Joyceの銘作「Finegan's Wake」(フィネガンの通夜)を読んだ時、まさにそんな感じだった。

◆10年近く前だったろうか、空前のジョイスブームな上に、ちょうど大学のゼミでジョイスの「ダブリン市民」(The Dubliners)を読んでいたこともあり、発行されたばかりの柳瀬尚紀氏訳の「フィネガンズウエィク」を手に取った。上巻だけで4000円近くしたと記憶している。そして勇んで読み始めた。。。

川走、イヴとアダム礼盃亭を過ぎ、く寝る岸辺から輪ん曲する湾へ、今も度失せぬ巡り路を媚行し、巡り戻るは栄地四囲委蛇たるホウス城とその周円。(riverrun past Eve and Adam's from swerve of shore to bend of bay brings us by a commodius vicus of recirculation back to Howth Castle and Environs.)

な?なんだ??何が書いてあるんだ???ちっとも頭に入ってこないぞ????
そして

ここはなんたる意くさと意うさの、貝神重面姐(かいじんじゅうめんそ)と魚神耽快児(じょしんたんかいじ)のもつれどもえのがしゃがしゃーん!ゲッケロ、ケロケケ、ケロケケ、ケッケロ! キヒャー、キヒェー、キヒョー! ウワー、ウィー+、ウヲー!クゥワラバラゥ!(What clashes here of wills gen wonts oystrygods gaggin fishy-gods! Brekkek Kekkek Kekkek Kekkek! Koax Koax Koax! Ualu Ualu Ualu! Quaouauh! )

おい、日本語だゾ、どうして理解できないんだ? 自分の国の言葉が読めなくてどうする! おい!おい!!。。。。。。(_ xx)_バタッ 

◆全ての単語を自分が理解していて、なおかつ助詞・助動詞・副詞も間違っていないのに、何故この文章は理解できないのだろう。間違っているのなら、どこが間違っていて、不明な部分があるということがわかるはずだ。あいまいなら選択肢も膨らむ。しかし、この小説は本当に理解できないのである。
まず最初に、この小説は唐突にriverrunで始まる。「川走」ってなんだ?? James Joice Triviaという紹介HPの注釈にはこうある:

「riverrun がRiverrunではないことや、最後の語がtheであることが示しているように、この本は途中から始まり、途中で終わる。いやこの本は始まりもないし、終わりもない」

(・д・)ハァ? 謎が1つ増えただけだった。

◆一生懸命読む、読む、読みすすめる。ある程度読めばだんだん文体にも慣れて、流れがつかめてくるだろうという、浅はかな努力。。。In Vain(無駄に終わった)
この本は上下巻そろって僕の本棚の肥やしになっている。

◆このように全く理解できないモノの癖に、異様な魅力を発しているものがある。

◆演歌だったりスポコン漫画だったりするような理解できるが嫌いなものや、浅はかな小説家志望者が持ちこんでくる文意が間違っていたり、文法がなってなかったり、読ませ方が自分本意な代物のようなのはどうでもいいのだが、なにも間違っていないのに一語一語引っかかって来て、その上理解不能なモノ。これらはどうしても口説き落とせない女のような魅力で僕を惹きつけてやまない。

◆余談だが、この文章も、不可解さで僕の脳みそにアドレナリンの噴出を即した:

egrep コマンドは入力ファイル (デフォルトは標準入力) を検索して、
Pattern パラメータで指定したパターンに一致する行を探します。
これらのパターンは、ed コマンド内で使用する場合と同じように、完全な
正規表現です

完全な正規表現???(笑)

◆さてZAPPAである。
あぁザッパッパ。。。僕の心を惹きとめて離さない伝説のアーティスト。アナタは一体どんなことをしたかったのでしょうか? なんであんな悪意に満ちた歌がうたえるのですか? どうしてあんな狂ったようなメロディが作れるのですか? ギターが上手いのですか? 上手いからあんな常軌を逸したソロがとれるのでしょうね。クレイジーです、クレイジー過ぎます、

    全然理解できないっすっ

どこまでが一曲なんですか? どんなことをいいたい曲なんですか? どうしてあんなに沢山アルバムを出せるのですか?(1966から現在までで正規アルバムだけで80枚近く!) わからないことだらけ。。。でもでもでも!

    すっごく魅力的なんですっ

◆最初にZAPPAを聴いたのは、たしかミュージックマガジンで神々しい扱いを受けていたEMI版のMeets The Mothers Of Prevention とJazz From Hellの2on1CD。突然始まる「ターンターン、ターンターン、タニナゲーン」と低くだれたヤル気のない歌声、そして陳腐なアレンジ。
何だコリャ? パロディもの??
あーなんでそんなに陳腐な歌なんだよ、え?そこで転調?? どこまでがAメロ??あぁまたサビだ、何でキメがないんだ?? あれ?ダレたまま続くのは電気的なインスト? なんでこんな構成になるの?? と思ったら次はいきなりJazzのスタンダード風、いやに渋いぞ(汗)、ミュージカルのOSTみたいだ。。。。。。。。。どの曲も曲として成立してるのかどうか分からない。。。「なんで分からないんだろ、評論家はみんな絶賛してるんだぞ、すごいはずだ、どこかにすごい部分があるはずだ!!」

◆何度聴いただろう。そして結局、「すごいのは別のアルバムだ」(爆) という希望を持って次のアルバム購入に向かった。
「Absolutely Free」「You Can Do That On Stage Anymore1(ユーキャントどうだザットこの凄さ!)」「Ruben The Jets」どんどん聴いてゆく。どれも非常に評価の高いアルバムだ。しかしどれだけ聴いても分からない。理解できない、あぁ自分がどんどん馬鹿に思えてくる。

「Weasels ripped My Flesh(いたち野郎)」。。。これなんか特にわからない、何がなんだか、どうしてくれようというアルバムだ。JAZZのアドリブのようなオープニング、前衛音楽、まるでTaxidoMoonかと思われるような曲。。。あぁオペラのような歌唱になっちゃった。。。

◆「私の編集テクニックは作曲の延長なのだ!」とZAPPA先生はおっしゃってるが、そのとおりかもしれない、編集で成り立っているようなアルバムだから。確かにギターは上手いよ。各メロディもキャッチーだ。歌も味がある、2曲目のブルーズィなこと、驚嘆だ。でもそこからいきなりヘビメタ並みの重低音曲になることはないんじゃないの? まったりした雰囲気ぶち壊しじゃん。。。と思ったら雄叫びばかりの曲でない曲に。。。頭おかしいんじゃない?って感じ。でもそれがすばらしいんだろうなぁ、アーティストの狂気を理解できない俺が至らないんだろうな。あぁ自己嫌悪。。。

◆そんなに分からないんなら聴かなければいいじゃん、自分でもそう思う、しかしなぜか一定周期を置いて、必ず聴きたくなるのがZAPPAなのだよ。わからないかなー、俺もわからない、でもそこが魅力なんだろうな、たぶん。

◆へーザッパドットコムなんてあるんだぁ


万事快調だった頃:PIZZICATO FIVE

at 2001 03/30 22:12

◆結婚した頃、僕らはとても希望に満ちていた。なんだろ、これからすべてが良くなるんだ、そんな気分だった。泣いて、罵倒しあって、苦しんで、傷ついて、血を流して、「ショック療法」のような結婚決定だったが、やっと「皆笑った」。本当にハッピーエンドの気分だった。

◆「万事快調」それが二人のテーマだった。深夜のドライブも休日のデートもまるで「マジックカーペットライド」の気分で、「陽のあたる大通り」を「ピースミュージック」を口ずさみながら遊びまわった。夜も「眠そうな二人」は「誘惑について」語り合い、まるで「セックスマシーン」のように愛し合った。

◆あぁこの試みは疲れた、やめよう

◆こんな風に、ピチカートファイブは僕と妻のテーマソングだった。ツィギーのように愛らしくてキャッチーでお洒落な結婚生活は、すぐさま座礁してしまったが、アノ頃の楽しさは今でも僕の中で輝いてる。そんなピチカートが明日、解散するそうだ。

◆小西くん、鴨宮くん、敬太郎さん、麻美子ちゃんではじめたピチに僕がであったのは「カップルズ」の頃だった気がする。かぼそくって妖精のような麻美子ちゃんの声と、おもちゃ箱のような音楽は、水族館レーベルの後継者のような感じがして好意的に受け取っていたが、夢中になるほどじゃなかった。そしてしばらく忘れていた。再び出会ったのは、田島くんから野宮さんにボーカルが移った後しばらくしてからだったと思う。

◆初めて買ったアルバムはSweet Pizzicato Five。「キャッチー」をうたい文句に現われた彼らはたちまち僕らの心を虜にした。ちょうど渋谷系という言葉が巷でささやかれ始めた頃、お洒落の代名詞のようなピチのサウンドをまとい、僕らは流行やムーヴメントについて語り合ったものだ。

◆僕は小西君が嫌いだ。これは嫉妬だと思うが嫌いは嫌いだ。何故かというと、「自分がアーティストだったらやってみたかったこと」をどんどんやってのけていたからだ。

●バンド内にいながらプロデューサーとして、曲やムーブメントのセンスに合わせながらバンドの顔であるボーカリストをどんどん変えていった。
●自分たちの音楽のカラーで雑誌を作っていった。
●ミュージシャンでありながら、選曲者としてのネームバリューを高めていった。
●50年代60年代のレトロファッションと音楽の融合と、それにぴったりの「顔(=野宮さん)」を起用できたこと。
●ミュージシャンでありながら、映画の流行にネームバリューを発揮していた。


◆だんだんむかついてきたので、このあたりでやめるが、恵比寿ガーデンでのファッションショウをもじったステージを見たとき、「中学の頃から想像していたステージだ」とやるせない気持ちになったものだ。上記の事でもわかるように、ピチカート(というか小西くん)の功績は音楽自体以上に、ミュージシャンでありながら「選択者」としてのブランドを作り上げ、各業界やユーザーの嗜好に影響を与えていったことだ。

◆「女性上位時代」「007カジノロワイヤル」など、小西くんがいなければB級お色気映画として、まるで陽の目を見なかっただろう。彼が早々に流通を通せなかった雑誌「KANBASE」をあきらめて、自らレコードショップルートで「サバービアスート」を創刊しなければ、橋本徹も現在の地位を作れず、よってFREESOULやApresMidi(カフェミュージック)等のムーブメント(再評価)も生まれなかったろう。つまり、僕らはJackson SistersやEllenMcIlwaineの再発盤にもめぐり合えなかったことだろう。彼によってみいだされたアーティストも枚挙に暇がない。

◆つまりピチカートというユニットは90年代の流行の牽引役の一人(都心部では特に重要な)だった。そんなピチカートが解散する。それは時代の返還を意味しているのかもしれない。

◆あんなに楽しかった僕らの生活も終わった。そして僕は現在、新しい希望とすごしている。ピチカートはもう思い出なのだ。

◆ピチカートマニア最大のHPは→、公式はReadymade。明日のラストイベントは盛り上がるだろうなぁ。。。

期待の若手、しかし詳細不明:Charmaine Neville

at 2001 03/31 23:45

◆まったりとしたセカンドラインにはとても弱い。たぶんジャンルとしては一番好きなモノだと言ってもいいだろう。モコモコしたリズムセクションに、野太いホーンが絡んでくる、そして限りなくチープな女性コーラス。。。あぁなんて素敵なんだろう。どうせならこんな音で死にたい。。。DownInNewOrleans

◆セカンドラインってとっても吹っ切れた音楽だと思う。苦しいことも悲しいことも辛いこともすべて横に置いておいて、さあ楽しもうよ。もうどうだっていいじゃん、なるようにしかならないんだよ。そんな感じの諦念と刹那さを、表には微塵も見せないで、ただまったりと、しかし前向きに演じている。

◆ある意味老成した音楽なのかもしれない。Galacticなんかを聴いているとちょっと違うかな、とも思うが、基本的には激しくない、熟成された音楽であると思う。主張がない、コンポーズにそんなに個性がない、熱くない、でも冷徹でもない。ただ単に楽しもうよ、という思いでいっぱいの音楽なのである。だから地位や名声や人気やお金やその他もろもろの邪念が吹っ切れない人には絶対作れない音楽でもあると思う。大体この時代にIkoIkoじゃチャートにあがれはしない(笑)。

◆Neville兄弟の末っ娘(だと思うが、なにぶん資料がない)Charmaine Nevilleの98年のアルバム、Queen Of The Mardi Grasもセカンドラインたっぷりなアルバムだ。ジャケ写はほほえましい可愛さだが、内容はジャケ裏の写真のような幼さをまったく感じさせない老成ぶりだ。堂々と気合の入った、しかも楽しそうな声で、ニューオリンズのスタンダードや長髪教授の曲を歌いきってくれる。

◆頼りない数の資料では、彼女のデビューはNeville兄弟の81年の大ヒットアルバム「Fiyo on the Bayou」でのバックボーカル参加らしい。その後、94年にCharmaine Neville Band名義でIt's About Timeというライブアルバムを、96年に個人名義でUp Up Upと発表しQueen〜に至るというから、かなりの新人クラスである。レーベルもニューオリンズ音楽をほぼ専門的にやっているGertTownレーベルだからどう考えてもメジャーではあるまい。

◆そんな小レーベル出の若手のわりには、いい演奏をしていると思う。かなりお気に入りだ。いい意味でも悪い意味でもニューオリンズ伝統音楽そのままだ。うん、ずっと掛けっ放しにしておきたいアルバムだ。

◆Charmaineの詳細知っている方いたらご連絡ください〜m(__)m 

今月のオトシャベリへ、●アーティストリスト


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